乳児用ミルクのあれこれ 40 <乳児用ミルクの「生活史」を知る>

1980年代半ばに私がネスレボイコット運動を知った時には、「哺乳瓶やミルクを見ると少し憎悪に近い感情」があったことをこちらに書きました。
哺乳瓶やミルクだけでなく、乳業会社から派遣されてくる栄養士さんにはできるだけ関わらないようにしようとしていました。


1980年代に日本でネスレボイコット運動の話を知っているのは、おそらく市民運動などに関わるごくごく限られた人だったと思います。
私も東南アジアやアフリカで貧困を目の当たりにして、「そんな真実が隠されているなんて」と怒り、正義感に燃えたのでした。


ところが、90年代に東南アジアのある地域を行き来しながら、「ミルクさえも買えない貧困層」の人たちと一緒に暮らすことで、どんな暮らしをしているのかその「生活史」が少しずつ見えてきました。


「汚い水での調乳」が乳児死亡の原因だと言い切ることは、不正確だとわかりました。
「汚ない水」を沸かすことなく、新生児や乳児もその井戸や川の水で沐浴をしています。
現在でさえミルクを介した乳児の感染症を特定したり統計をとることは難しいので、「汚れた水での調乳が乳児死亡の原因」とは断定できないのではないでしょうか。
たとえ1970年代にそう断定しても、当時の感染症の診断技術では正確なことはわからなかったことでしょう。


もう少し購買力があって、ミルクを購入している貧困層の家では、中国製のポットがありお湯がありました。
「お湯で調乳する」という知識が啓蒙されていたからでしょう。


もちろん私の経験も一地域の状況ですし、世界中、もっと多様な状況があることでしょう。
その地域によって、問題の原因と解決策もさまざまなはずです。


さて、「汚れたミルク」を観に行ったとき、映画館には30人ほどの観客が来ていました。
老若男女さまざまでしたが、半数以上は中高年の女性でした。
どんなきっかけでこの映画を知って、観に行こうと思われたのでしょうか。


映画を観て、「ああ、やっぱり途上国の女性は教育レベルも低いから、清潔な調乳方法も知らずにこんな危険なことが起こるのだ」「文字も読めずに宣伝に踊らされるのだ」と思い込んでしまわないといいのですけれど。


ダナ・ラファエル氏が指摘したように、「一般の人々は第三世界の女性や子どもの状態について、何の知識もないまま、簡単に世間に流布している説を受け入れている」ことが、こうして繰り返されていくのかもしれません。




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