10年ひとむかし 24 <正確に時を知る>

物心ついた頃の1960年代前半、家には時計がありました。


壁に掛けられた時計です。
時計の下の部分では振り子が揺れていて、その動きをみて「1秒」の感覚を覚えたのだと思います。
大きな古時計ほどの大きさはなかったのですが、祖父の家にはまさに「おじいさんの大きな古時計」がありました。


静かにしていると、振り子の音が家の中で響く感じです。
そして時間ごとに、「ぼーん、ぼーん」と時を知らせるのでした。真夜中でも。
今思うと、毎時間ごとにけっこうな音がしていたのに、よく目が覚めなかったものだとちょっと不思議です。


その掛け時計は時々ネジを巻く必要と、時刻を合わせる必要がありました。
時計の中にそのネジ巻きが収納されていて、踏み台に乗った父がぎーぎーと巻いて、テレビの時報に合わせて針の位置を正すのでした。
「よしっ」と満足そうにしてから、出勤していました。


小学生ぐらいになると、目覚まし時計を買ってもらいました。
乾電池で動く、現在もあるタイプです。


両親はそれぞれの腕時計を持っていましたが、よく止まったり遅れたりしていたのでしょう。文字盤の横にある小さなボッチをグルグルとまわしてネジを巻いて、掛け時計をみながら時間を合わせていました。


私が高校生になるころには、クオーツ時計という言葉が広がっていた記憶があります。
私の初代の腕時計も電池が入ったクオーツ時計でした。
今、Wikipediaを読むと、時計の大変換期だったのですね。


時計の歴史を読むと、1970年代はアナログからデジタルへ大きく変化した時期のようですが、私の身の回りはまだまだアナログ表示の時計がほとんどでした。
その後、デジタル表示の時計が広がっても、私自身はなんだか好きになれなくて、アナログ表示の時計を好んでいました。
仕事がら、秒単位の判断が必要なこともあるので、秒針がない時計では不安になるからかもしれません。


10年ほど前に購入した電話が、表示板にデジタル時計がはめ込まれたものでした。
部屋が暗くても、時間がわかるようになっています。
その時計を使うようになってから、デジタル表示もけっこう楽しいなと思うようになりました。
夜中に目を覚ましたら、「1:23」「3:45」と連続した数字や「1:11」「4:44」とかがぱっと目に入って来て、数字で遊んでいるような面白さがありますね。
「ラッキー」っていう感じ。


子どもの頃の時計からは考えられない変化が、電波時計の出現でした。
時刻を合わせなくても良い時計が出るとは。
特に産科病棟では、出生時間という正確な時間を記録する必要がある場面が多いので、電波時計の出現はありがたいものでした。
分娩室の時計を見て、「おめでとうございます。何時何分生まれです」と言ったのに、家族が持っていた時計の時間とは違っていたなんてこともありますからね。
あちこちの時計の時間を合わせなくて済むようになったのは、本当に助かりました。


「正確な時刻」を誰もが知ることができるようになったのも、わずか半世紀ほどのことですね。
まあ、あちこちに時刻を確認する手段が増えたので、遅刻を時計の故障のせいにできなくなりましたが。





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