記憶についてのあれこれ 116 <「今何時ですか?」>

いつ頃からでしょうか。
街の中を歩いていて、見知らぬ人から「今何時ですか?」と尋ねられることがなくなったのは。


おそらく日本中のほとんどの人が腕時計や携帯電話を持っていることでしょうし、忘れたとしてもあちこちに時刻の表示があるので、人に尋ねる必要がなくなってきたのかなと思っています。


自宅でもし時計が壊れても、パソコンやらさまざまな機械に時計が組み込まれているので、家族にさえ「今何時?」と聞くことがほとんどなくなったのかもしれません。


1980年代に初めて東南アジアのある国で暮らした時に、しょっちゅう尋ねられたのが「今何時ですか?」でした。
最初の頃はただ歩いているだけでも日本人だとわかるらしく、英語で尋ねられました。
まず、その英語の質問が聞き慣れない英文でとまどいました。
日本で中学校の最初に習った「What time is it now?」はなく、「Do you have the time?」でした。


そういう言い方もあるのだろうぐらいで、そのまま30年以上確認することもなかったのですが、先日来、時間のことを考えていて気になり検索してみました。
「失敗英語教材ランキング」というサイトの「Do you have the time?の解説」には、アメリカ人ネイティブだと「What time is it now?」よりは「What time is it?」だけれどそれもほとんど使わず、一般的には「Do you have the time?」を使うと説明されていました。


時間を尋ねる言葉も、いろいろと奥が深いですね。


当時、一緒に働いていたアメリカ人スタッフとは、「今何時?」と聞き合うことはほとんど無かったので、この細かいニュアンスを知ることなく今に至ってしまいました。


もうひとつとまどったことが、現地の腕時計をしている人からしょっちゅう「Do you have the time?」と聞かれたことでした。
最初は、たまたま時計が壊れて私に尋ねたのだろうと思っていたのですが、そのうちに見えてきました。
壊れた腕時計をそのままつけている人がけっこういることが。


大事な腕時計だけれど、電池を交換したり修理をするお金はないようです。
だから腕時計はしていても、時間は他の人に尋ねるのだと。


当時の開発途上国と呼ばれた国々の日常の貧しさについてはこちらの記事に書きましたが、家に時計がないことも印象的でした。


時刻は何で知るのか。
ラジオを持っている少し経済的に余裕のある家が、音量を上げてラジオを流していたのも、もしかすると周囲の家に時刻を知らせる意味もあったのかもしれません。



最近、私が住んでいたあの地域の言葉を耳にする機会が増えて、30年前には日本へ行くことは夢のまた夢のようだった経済格差が少し改善されたのだとうれしく思っています。
テレビでその国を紹介する番組を見ていると、地方でもどんどんとスマホが広がっている様子がわかります。


もうあの国では、「Do you have the time?」とあまり聞かれなくなったかもしれませんね。



ところで、今も日本の中学生は「What time is it now?」を教わっているのでしょうか?
もしかしたら、その文の意味や必要性そのものがわからないなんてことはないですよね?






この記事は、「時間」について書いた以下の記事の続きです。

「記憶についてのあれこれ 115 <腕時計>
「10年ひとむかし 24 <正確に時を知る>


「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら