食べるとういうこと 21 <ご飯の食べ方>

先日放送されていたNHKの「サラメシ」で、石垣島の「オニササ」を紹介していました。
ご飯とご飯の間に鶏ササミのフライを挟んだ、石垣島の人気のおにぎりだそうで、沖縄のスパムおにぎりと同じ感じでしょうか。


さらに、「ハンバーグ・ケチャップオニギリ」があって、文字通りハンバーグにケチャップソースをかけてそのうえにご飯の固まりがのったものでした。
文章にすると、食べにくそうですが、こちらはオニギリというようりは、ビニール袋にハンバーグとケチャップソースとご飯を入れたものでした。
まあ、どちらにしても食べにくそうですが。


でもこうやってご飯を食べる方法に、石垣島はやはり東南アジアの米食文化に近いのではないかと、勝手に私の中で分類されたのでした。


<ご飯に混ぜて食べる>



東南アジアのある地域で暮らすようになって、お米の種類も食べ方もいろいろであることを、身をもって体験しました。
80年代半ばは、まだ東南アジアの生活や食文化についての情報は本当に少なくて、「同じお米を食べている文化だから、現地でもなんとかなるだろう」ぐらいの認識でした。


最初に、日本人にはパサパサに感じるインディカ米ですが、これは想定内で、ボルツというインドカレーの草分け的なお店で体験済みでした。
暑い国では、むしろパサパサに感じるくらいのお米の方が食べやすく、時々、もち米を食べるとちょうどバランスが良く感じました。


ご飯の食べ方の違いの2つ目は、「こんなに米の種類があるのか」に書いたように大皿にご飯を盛って、そこから各自の皿に少しずつ取り分けることでした。
最初は、どれくらい取り分けたらよいのか、そして今どれくらい食べたのかがわからなくなりそうで戸惑いましたが、自分のその時の腹具合に合わせて、量を加減しやすい方法にすっかり慣れました。
ただ、村の家を訪れる時だけは、「(客人だけひとり分を取り分けてくれたら遠慮なく食べられるのに)」と、あまりの空腹感から浅ましくなってしまいましたが。



違いの3つ目は、その少しずつとりわけたご飯を、お皿の中でおかずに混ぜて食べることでした。


カレーならご飯と混ぜて食べても大丈夫なのに、あるいは炊き込み御飯とかチャーハンのようにあらかじめ混ぜて調理してある物は大丈夫なのに、炊きたての白米に何かを混ぜることにはなぜ抵抗を感じるのだろうと、自分の中の矛盾には答えがみつかりません。
しいていえば、「ご飯のうえにおかずをのせて食べるのはみっともない」という親からのしつけの影響でしょうか。
それで、最初の頃は、取り分けたご飯とおかずと別々に食べていました。


でもじきに、混ぜて食べた方がおいしいと思うようになりました。
その理由は、インディカ米がパサパサしているのでおかずを混ぜた方が食べやすかったことと、現地のおかずは「ご飯に混ぜる」ことを前提にした調理方法が多かったことでした。
そして、今では五郎さんがご飯の上におかずをのせるシーンでは、一緒にゴクリとなるので、変われば変わるものですね。


その国で初めて食事に行った時に、とても驚いたのがスプーンとフォークがセットで出されることでした。
スプーンとフォークでどうやって食べるのだろうと。
右手に持ったスプーンに、フォークの背でご飯とおかずを入れて、スプーンで食べるのでした。
これも、最初は「スプーンでご飯を食べるなんて、子どもみたいだ」と抵抗がありましたが、汁気の多いおかずが多いので、とても合理的な使い方だと思うようになりました。
ただ、現地の友人たちは「欧米からの観光客にはちょっとバカにされるけれど」と言っていましたが。


そのうち、その国の元々の食べ方である、手で直接ご飯とおかずを混ぜながら指で食べることもできるようになりました。


そういう東南アジアのご飯に何かを混ぜるという食べ方の影響があって、石垣島ではおかずを挟んだりケチャップがしみ込んだオニギリが登場するのかなと、ふと思ったのでした。


ただ、私が住んでいたその国で、ある日私がオニギリを作ったら、みんな目を丸くして、「ご飯をそんな風に食べるなんて信じられない」と怖れをなして手を出す人がいませんでした。
最近では、「オニギリ」も世界で知られるようになったようですが。


ご飯の食べ方の感覚も、世界は広しですね。




「食べるということ」まとめはこちら