存在する 6 <無とは有である>

父との別れは、突然来ました。
いえ、もう今年の夏を持てばぐらいには覚悟はできていたのですが、平和な面会の時がずっと続くような気持ちがありました。


ブログに父のことを書く時には、いつも泣きながら書いていました。
子どもの頃から涙もろかった私も、40代ぐらいからだいぶ泣かなくなったのですが、父との記憶を書き綴っているとなぜかボロボロと涙がでてくるのです。



泣くことで自分の感情に酔うことは避けたい自己憐憫には陥りたくないと、日記はモノローグにならないようにできるだけ感情をそのまま書き綴ることをしないようにと思っていたのですが、どこかに未消化の感情があるようです。


面会に行くと、父のそばにいる時にもずっと顔を見ていたり、スマホに何かを書き込んでいて、ドライな娘に見えていたかもしれません。
こんな時にも、私は父の表情や行動の変化を観察して、記録しようとしていました。
老いて死にゆくことは、なんだか新生児に戻っていくようだなと、観察していました。


あるいは、父の状況が悪化するたびに、その変化は医学的にも看護的にも想定内なので、淡々と「お任せします」「段々と最期に向かっているのでしかたないですね」と応えるので、そのあたりも他の人にはドライに写ったかもしれません。


でも、「その日が来たら、私の心はぽっかりと穴があくのではないか」という点で、ちょっと不安でした。
ドラマのように、父の亡骸にすがって大泣きしていまうのだろうと。


ところが予想に反して、棺に横たわる父の顔を初めて見た時と出棺の時だけ、ちょっと涙がでたくらいでした。
出棺までの3日ほどの間は、普通に眠って普通に起きて、普通にご飯も食べて、日常生活そのものでした。
私だけでなく、家族もまた、父のさまざまなことを思い出したり、別の話題など取り留めのない話で、泣くわけでもなく、時に笑いながら話が尽きませんでした。
私は知らなくて、他の家族が知っていた父の話も知ることができました。
安堵感に満ちて、静かな興奮とでもいうのでしょうか。


小さな家族葬を希望しておいてくれて良かった、と思いました。
神妙に泣き顔でいなければ許されないようなルールやマナーがこと細かに決められた葬儀であったら、父と私の関係には似つかわしくなかったことでしょう。


その後、しばらくは父のことを思い出しても涙も出ませんでした。
少し時間がたつにつれて、「ああ、もう面会にも行くことがないのか」とふと寂しくなり、でも父の存在は日に日に大きくなって来た感じです。


無とは何か。
死は無ではなく有なのかもしれないと、禅問答をしています。




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