存在する 11 <存在さえなかったことにする>

動物園や水族園、あるいは植物園ではお気に入りの種はいるのですが、「ああ、こんな生物がいたのか」と今まで知らなかった存在に圧倒されて関心がでることも通い続けたくなる理由です。
あるいはあまり人が振り向いていかない水槽でひっそり生きている魚のように、人間の生活には存在感もない種を見ていると、生物多様性の意味の深さに立ちすくんでしまう感覚になります。


海に囲まれた国で魚がとれなくなった話を1990年代初頭に聞いた時、もし日本が世界中に無償援助で建設した漁港のことがなければ、私も「それは途上国の話」とどこか人ごとに聞いていたと思います。
ところが、あれから30年たって、海に囲まれても魚がとれない国になってしまいました。
アジやイワシ、サンマやイカといった身近な魚介類でさえ、ごっそりといなくなる時代がくるとは想像できませんでした。


その中で、せっかく公害という受難の時代から復活しても、珍しい魚やカニがまた乱獲されるのではと心配になるほどグルメの話題になってしまうことが心配です。


絶滅危惧種と名付けられているのは調査や研究がされている種であって、そのひとつの種が減少することに関心も持たれていないような生物はどれだけ影響を受けるのだろう。


動物園や水族園、あるいは植物園でていねいに観察され育てられている種を見ることで、今生きている時代にその存在が無くなってしまうことにならないようにしなければと思い起こす機会になっています。
もちろん、答えのない葛藤なのですけれど。


<ジェノサイドと民族浄化


私が生物多様性という言葉を耳にするようになったのは、ここ10年ほどではないかと思い起こしています。
東京ズーネット都立動物園水族園「生物多様性保全活動宣言」の最初にこんなことが書かれています。

私たちの暮らしに必要な水や食べ物、木材、薬品、そして美しい山々や海は、さまざまな生きものたちが織りなす営みによって成り立っています。こうした生き物たちの豊かな個性とつながりのことを、私たちは生物多様性と呼んでいます。


この「さまざまな生き物」は、「人間以外の生物VS人間」というとらえかただけではなく、「人間vs人間」もまた含まれるのではないかと、80年代から90年代に過ごした地域でのことを思い返しています。


ジェノサイドという言葉は、私にとってはホロコースト南京虐殺といった過去の歴史の言葉でした。
ところが1970年代のカンボジアをはじめ、世界中いたるところでその状況がありました。
80年代、20代の私のつたない英会話の中で、もっとも耳にした言葉の一つになりました。


1990年代に入ると、民族浄化という言葉が広がり始めました。今、Wikipediaを読み返すと「1990年代前半に一連のユーゴスラビア紛争が始まると、クロアチアボスニア・ヘルツエゴビナのムスリム人(ポシュニャク人)によって、敵対するセルビア人の残酷性を世界にアピールする目的のプロパガンダとして発信された」とも書かれていて、その地域のことを全く知らないままこの言葉を使うのには注意が必要そうです。


ただ同じ頃暮らしていた東南アジアの多様な文化や価値観が混在する地域では、言葉や文化を多数派に合わせることを半ば強制されるだけでなく、内戦状態の中で国内難民として家や畑を捨てざるを得ない状況にありました。
「大地とはただの土地ではなく、生き方そのものである」と考えてきた人たちが、世界中から関心をもたれることもなく、その存在が失われていこうとしていました。
その地域の友人から、「ethnic cleansing」という言葉を何度も聞きました。


Wikipediaジェノサイドの以下の箇所は、「生物多様性保全」と合わせて忘れてはいけないことかもしれないと、最近つながってきたのでした。

元々アルメニア人虐殺やナチス・ドイツユダヤ人虐殺(ホロコースト)に対して使われていたことから、一般的には「大量虐殺」の意味で使われるが、国外強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化末梢、また国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する断種手術の強要あるいは隔離行為など、あくまでも特定の集団の末梢行為を指し、物理的な全殺略のみを意味するわけではない

ジェノサイドなんで物騒な言葉は関係ないと思っていても、「私たちの考えが正しい」「私たちのやり方の方がよい」「このほうが社会のため」といった善いことのために、とある存在をないものにすることにいつのまにか関与している可能性があるのですね。


人間も含めた種の多様性の保全、ほんとうに難しい言葉です。
いつでもその存在を失くされるかもしれないちっぽけな自分だからこそ、悩み続けていかないと。
1羽のハシビロコウが亡くなったニュースから、二十数年前の危機感がつながりました。



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