存在する 12 <主語が存在する>

子どもが話す英語を聞いて、私が英語に興味を持ち始めた理由が見えてきたような気がしました。


英会話には主語があるということを、いつも意識してきたのだと思います。
日本語での会話には主語がないことと対比しながら。


「英語での会話には必ず主語がある」ということをいつ学んだのか記憶がないのですが、たしかに日本語での会話では「(私が)考えた」「(私が)そう感じる」というように主語がないと、はっとさせられたのでした。
しかも「私が考えた」はずのことも、「私たちは」というあいまいな複数形にして話をしていまいがちなことを、英語の授業で気づかされました。


むしろ日本語で話す時に「私は」や「あなたは」といった主語を入れると、ぎこちない会話になってしまいそうです。


「私」が考えたのか、「あなた」が考えたのか、あるいは「彼または彼女」なのか、日本語は本当に漠然としているなと実感したのが、20代半ばで東南アジアで働いて英会話が必要になった時でした。
ついつい「We think...」と言いそうになるのです。
私は今まで私自身が考えたつもりであっても、どこか「ほかの人も同じように考えているはず」という後ろ盾を使いながら主体を消してきていたのではないかと突き詰められた感じです。


英語だけでなく、こちらの記事の「新しい言語を習得する」の現地の方言もまた、「私」「あなた」「彼・彼女」という主語が必ず冒頭にあって話し始める言葉でした。
会話の内容まではわからなくても、主語がはっきりと聞こえるので誰の話なのか理解できます。
その「魚だ!おいしそう!」や「すぐ食べることを考えるんだから」といった会話でさえ、「私」「あなた」という主語がきちんと会話の中で使われます。


また複雑な会話でなくても、「ありがとう(Thank you)」や「すみません(Excuse me)」にさえ、「誰」がわかるようになっています。


プールの更衣室で小さな世界のニモたちの会話を聞いていて「なんだか大人っぽい会話だな」と感じたのは、この主語が明確になっているからかもしれません。
「I think...」「You might...」と始まる会話には、幼児語のようなものが入り込むすき間がないのかもしれないと感じました。


「はい」という返事でさえ、「presence(ここにいます)」という自己の存在を表す言葉が使われているような言語とは大きな発想の差があるのも当然かもしれませんね。


どちらの言語が優れているかということではなく、主語が明確でない言語を使っていることは主体を消して、責任をとらない雰囲気が広がりやすい理由なのかもしれないと感じるのですが、事実は如何に。


それにしても、低学年の児童が「Thank you for reminding me」とさらっと言うのは、とても存在感が感じられたのでした。



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