観察する  57   <「坂道を登れば平らな台地」>

最近は地図を見るだけでだいたいどのような地形が広がっているか、クイズのように見えてくるようになったので、三浦半島を訪れる前には地図と航空写真、そしてガイドブックなどでおおよそのイメージが出来上がっていました。
ところが、実際に行って見ると、ちょっと想像の上を行く地形でした。


たとえば都内近郊なら、平面地図でも、蛇行している道や川や暗渠を辿るだけで元の地形の高低差がなんとなくわかるようになってきました。
三浦半島先端部もいくつかの川がありますから、その川を中心に高低差を思い描きました。
ところが実際にバスの車窓から見ていると、あまり川が作り出した地形でもなく、いきなり海抜0メートルからぐんぐんと坂道を登って台地のような場所に出ます。
その台地のような場所も、一見、遠く見渡す限りのパッチワークのような場所でも、途中に深い谷間があって連続しているわけではないのです。
まるで地表に出た木の根っこの上に少し平らな部分がある、そんな感じです。


ちなみに、三浦市津波ハザードマップで海抜をみると、海岸沿いに0〜10mぐらいの地域がわずかにあるだけで、三浦市全体が海抜20〜30m前後の高台になっているようです。
油壺周辺を見ると、油壺湾のごく一部と小網代湾の海水浴場になっている箇所を除けば、海からすぐに海抜20m以上になっていました。
どうりで、験潮場と反対側の小網湾に降りて行っただけで、脚の筋肉がしばらくブルブルしていたわけですね。


<「海岸段丘(海食台)」>


あの地形はなんと言うのだろうと検索していたら、三浦市三浦半島南部の地形と言う資料が公開されていました。


その書き出しが、今日のタイトルに引用させていただいた表現で、「ああ、まさにそれだ!」と思いました。

「坂道を登れば平らな台地」これは三浦市に住む私達にとって何気ない常識です。こういう地形を何と言いますか?。では航空写真で三浦半島南部(三浦市)を見てみましょう。小網代から剣崎にかけての入り組んだ地形はリアス式海岸の様にも見えますが、それは違うのです。それどころか半島南部一帯は隆起によって作られた代表的な地形、海岸段丘(海食台)でできています。

リアス式海岸かなと私もふと思ったのですが、海食台というのですね。


p.138からは三浦半島の地層についても詳しく書かれています。
油壺験潮場の反対側の横堀海岸の浜辺に降りると、小網代湾の対岸に地層がはっきりとわかる岸壁が見えました。
この資料を読むと、もしかしたら「油壺火砕岩層(油壺層)」かもしれません。
三浦市内にはさまざまな地層を観察できる場所があるのですね。


「あなたの住んでいる土地の地盤は何層からできていますか。」(p.139)
こういう生活に根ざした教育的な問いかけが、何気なく自治体の文書に書かれていることがすごいと思いました。


そして、三浦半島の歴史は古く、昔からここで生活し歴史を作り上げて来た人たちが「坂道を登れば平らな台地」と感覚的にはわかっていた地形や地層が、この一世紀ほどで正確に言葉で表現されるようになったということでしょうか。
私の仕事である「助産」の変化に似た、一世紀という不思議な時間の長さを感じました。



「観察する」まとめはこちら