初泳ぎ

初泳ぎというタイトルですが、まだ泳ぎに行っていません。
早く泳ぎにいかないと頭のお皿が乾いちゃいそうです。


以前は年末年始の2週間近く休止しているプールがほとんどでしたが、近年、お正月早々から時間短縮でプールを開けてくれる公営施設も増えました。


喜々として行ってみたことがあるのですが、それはそれは芋の子を洗うどころではない凄まじい混み具合でした。


まぁ雨が降ろうが風が吹こうが槍が降ろうが泳ぎに来るような、ヒト科河童族です。
でもあの混み具合にはさすがに懲りて、年始のプールは避けるようにしています。


さて、北島康介選手が今年度中に結婚されるというニュースを聞いたら競泳熱がでてきたので、今日は水泳の話を書きたくなったのでした。


2001年の世界水泳でのイアンソープ選手の泳ぎを見て、きれいに泳ぐためにトップスイマーの泳ぎを見てみたいとふと思い立ちました。
それ以降、競泳の日本選手権や国際大会にはまってしまったのですが。


当時はまだ誰か特定のファンというわけではなかったのですが、北島康介選手は雑誌「Tarzan」で特集が組まれるぐらい有名で期待されている選手でしたから名前は知っていました。


まだアテネオリンピックで金メダルをとる前でした。


あまり平泳ぎには関心のなかった私ですが、北島選手の伸びやかな泳ぎには鳥肌が立つような感動をした記憶があります。
あ、すごい選手だなと、ど素人の私でも感じる何かがありました。


2004年のアテネオリンピックで金メダルをとった翌年からは、日本選手権の観客数が俄然と増えました。
それまでは余裕で最前列のチケットを取れたし、連日けっこう空席がありました。
2005年からは、特に北島選手がエントリーしている日のチケットは、発売初日に購入しても観客席のはるか上の席しかとれない時もありました。


特に、北島選手を目指しているちびっ子ファンが増えました。
北島選手が小学生か中学生の頃、当時の日本の平泳ぎを引っ張っていた林亨選手を目標にしていて、ある大会で隣のレーンで泳いで声をかけてもらったことが大きな動機付けになった話を読んだことがあります。


そうしてたくさんの子どもたちが同じように、北島選手にあこがれ目標にしているのがよくわかります。


競泳の観戦の楽しさのひとつに、観客席にトップスイマーやその監督、コーチが戻ってくることです。
通路で北島選手とすれ違うこともありましたし、わずか10席ほど離れたところに北島選手が座っていることもありました。


北島選手の魅力のもちろん泳ぎにあるのですが、高ぶらない人柄もあるように思います。
スタート台に立った時の近寄りがたいほどの集中した表情ではなく、観客席ではやんちゃな気取らない青年という感じです。
メダルを取り、またオリンピックで2連覇してもそれはかわりませんでした。


そうそう、観客も北島選手が登場すると歓声が自然と出たり、会場の雰囲気が一気に高まります。
ところが、北島選手が試合直前に近くの観客席に座っていても、周りの人たちもほとんど握手やサインを求めたり話しかけたりしないのです。
北島選手が試合に向けて集中しているのをちゃんとわかっていて、見守っている感じです。
そんな競泳ファンの節度ある雰囲気もまたいいなと思いました。


アテネオリンピックの翌年は北島選手にとっては試練の年だったと思います。


2005年の日本選手権は、その年の世界水泳への代表選考会でした。
200m平泳ぎで、まさかの4位。代表入りどころか、3位入賞さえできませんでした。
あの時の北島選手の表情を覚えています。会場のどよめきとともに。


その時、北島選手はすぐに自分を超えて入賞した無名の選手に近寄って、肩を叩いて祝福の声をかけたのでした。


そして残る100m平泳ぎで標準記録を突破して2位以内に入らなければ、世界水泳には出場できません。
100m平泳ぎの当日、私はそれまで特に北島選手に思い入れがあったわけではなかったのですが、会場に行くまでの間、北島選手が代表になりますようにと祈り続けていました。その試合が終わるまで胃が痛くなった自分に驚きながら。


気持ちを切りかえることは並大抵のことではなかったことでしょう。
無事代表入りをしたのでした。


なんだか不思議な魅力があるでのす、北島選手は。
まだまだ、あの泳ぎを見てみたいと思っています。
そして北島選手を目指し挑んできたたくさんの平泳ぎの選手にもまた、エールを送りたいと思います。
充実した試合を見せてくれたこと、本当に楽しい時間でした。