なぜ、いつの間にか助産師が超音波画像診断機器を取り扱うようになったのでしょうか?
産科医が少なくなり分娩施設も減少して産科医の過重労働が問題になる中、助産師が「忙しい医師に代わって超音波画像検査で、胎児推定体重や胎位の確認をすれば、産科医も助かる」という施設も中にはあるのかもしれません。
それはそれで、医師の指示のもとに診療の補助としてであれば、法的には問題はないのかもしれません。
ただ、その場合せっかく超音波画像検査をするのですから、「推定体重、羊水量、胎位の確認」だけでなくより詳細な異常まで確認できるように「検査」として独立させたほうがよいのではないでしょうか?
そうであれば、助産師の教育課程で学ぶ解剖・生理学では対応しきれないことでしょう。
前回の記事で紹介した深谷赤十字病院では、医師不足という背景でもないようです。
<「医療介入に頼りすぎずに」>
ちょうど助産所が見直され始めた1991年、「私たちだって院内助産だよね」と揶揄的に院内助産という言葉を使っていた頃に、全国に先駆けた取り組みをした病院のようです。
深谷赤十字病院のHPには次のように書かれています。
全国に先駆けて「助産師外来」など助産師主導による妊娠・分娩管理システムを取り入れて現在に至っています。合併症や妊娠中の異常を認めなければ、妊娠・分娩管理のほとんどを助産師が担当しています。
「当院の体制と妊娠管理についての説明文書」には次のように書かれています。
助産師による妊娠・分娩管理システム
当院では全国に先駆けて1991年より「助産師外来」を開設し、助産師が中心となって妊娠・分娩の管理を行っています。
昔と違い、多くの方にとってはますます安心して妊娠や出産に臨めるような時代になってきてはいますが、妊婦さんにとってはさまざまな危険と隣り合わせであることも事実です。ですから妊娠・出産における医療的な安全は十分に考えなければなりませんが、その一方で近年では医療介入が過剰になりすぎてしまっているように感じる部分もあります。
ー医療介入に頼りすぎず、人間の「産む力」「生まれる力」を大切にし、心とからだに優しいお産を体験してもらいたいー
「医療介入が過剰」「医療介入に頼りすぎず」
私にはこの言葉と助産師が超音波画像診断機器を使用することに大きな矛盾を感じてしまうのですが。
<助産師主導と超音波画像診断機器>
1980年代終わり頃から1990年代初頭にかけて、病院・診療所に勤務する助産師にとって外来で妊婦さんとゆっくり話をできる場をつくることが熱望されていた時代だった記憶があります。
病院の外来では、医師の診察とその介助が主になり、生活上で気をつけて欲しいことや妊婦さんからの質問に答えるためには、立ち話で対応せざるを得ない状況でした。
時間的にも場所的にも、もう少しゆっくり関わりたい。
妊娠・出産、そして育児へといかすことができるような継続的な関わり方をしたい。
私が就職した病院もそうでした。
でもそれは決して「助産師が主導したい」ということではなく、お母さんと赤ちゃんに必要な関わり方をしたいという思いでした。
また「正常な経過の人だけ」というのではなく、反対に経過に問題がある方、社会的・家族的に問題のある方などに深く関わることが喫緊の課題でした。
そう、全ての妊婦さんと赤ちゃんを対象にして、外来で助産師がどう関われるのか模索していた時代でした。
当時、病院の建物自体が医師の診察の場に重点を置いたつくりでしたから場所を確保することも大変でした。
ちょうどその頃、妊娠後期になると分娩監視装置でNST(Non Stress Test)を実施することが一般的になり、その時間と場所を有効に使うことができるようになりました。
また1990年代には病院の建て替えの時期を迎えたところが多かったので、新しい病院には「相談室」というスペースが認められたのでした。
超音波画像検査は医師と臨床検査技師が実施し、あえて「助産師外来」と言わなくても助産師は相談室でいろいろな質問や悩みを聴きました。
あの頃を境に、何かが変ってしまったのかもしれません。
「過剰な医療介入」という側のほうが、積極的に超音波画像診断機器を使うようになってしまったのではないでしょうか。
それは助産師に本当に必要なことでしょうか?
母親と赤ちゃんたちに必要な関わりをする時間を妊娠中にも助産師としてはまだまだ欲しいのに、診療の補助としての超音波画像検査に時間を使える余裕はないところが多いのではないでしょうか?
妊婦健診時の超音波画像検査を助産師がするもののような認識を広げてしまった時に、本当に耳を傾け、全力で出産までサポートする必要のある母子に対応する時間が失われてしまうことを危惧しています。