前々回、前回の記事と、いきなり精神疾患の話題から入ったのですが、それは正常と異常の境界なんてわかりにくいということの導入として書いてみました。
今回からしばらくは、こういう言動もまたリアリティショックの表現ではないかと感じている、妊娠中や出産後のお母さんたちからよく耳にする独特の言葉や行動について考えてみようと思います。
そのひとつが「まさか、自分が・・・になるとは考えてもいなかった」という表現です。
代表的な場面が、「切迫早産で入院」や「帝王切開」でしょうか。
<妊娠中に入院するとは思わなかった>
10代から20代始めの頃のまだ私自身が産科学や母性看護学を学ぶ以前に、妊娠・出産をどうイメージしていたのか思い出そうとしてみたのですが、あまりに昔のことなのか何も浮かんできません(笑)。
たぶん、私にとっては関心もなく現実的な話題では全く無かったことと、何か出産に対して根源的な恐怖感のようなものがあって考えないようにしていたのではないかという気がします。
自分の体の中に、もうひとつの別の人間が育つことに対しての身体的変化や精神的変化についての漠然とした恐怖感とでもいうのでしょうか。
現在は仕事上、常に最悪の状況が起こりうることを意識しながら働いているので、妊娠・出産に対しても「おめでとう!」「感動!」よりはむしろ安堵感という感じです。
ですから、切迫早産がわかって早く入院治療が始められて、なんとか35週ぐらいまで迎えられれば本当にほっとします。
でも、案外、皆さん、妊娠中に入院が必要になる状況があるということを「考えていなかった」とおっしゃるのでいつも驚いています。
本当に何も知らなくて考えなかったのか、それともあえて考えることをしないように封印して、楽しいことを考えて気をまぎらわしているのでしょうか。
そのあたり、まだ妊婦さんの心理というのは未知の部分が多いように思います。
日ごろは無意識のうちに「備えよ常に」を意識しているのが、成人の生活ではないかと思うのですが、その部分がぽっと飛んでしまっている・・・そんな印象を受けるのです。
<嫌だ!家に帰る!>
切迫早産で入院すると、トイレと食事以外は座ることも制限されてほぼ横たわった状態でいることが「安静治療」になります。
日ごろの疲れが溜まっている人でも、1日ぐらい横になっただけでもう十分と思うのですが、それが1ヶ月も2ヶ月も続きます。
またこちらに書いたように子宮収縮抑制剤の持続点滴をするのですが、副作用の動悸や熱感も慣れるまではつらいものがあります。
最初は治療の必要性を受け止めているのですが、数日もすると堰を切ったかのように感情が乱れてきます。
「もう、こんなつらいことは嫌だ!家に帰る!」とおっしゃる方も珍しくはありません。
私たちもそろそろそういう時期だろうというのが本人の表情からなんとなくわかるので、「言いたいだけ言っていいですよ」と受け止めています。
<体の中に私とあなたの存在>
もちろん、他の疾患でもあるいは男性でも、入院治療を開始すると「嫌だ!帰る!」という場面はあります。
ただ、産科の場合はそういう場面とも違うのかもしれません。
自分だけでなく、体の中に存在するもうひとりのために生活上のさまざまな制限や身体的苦痛を受けているのですから。
「赤ちゃんのために」
十分、本人もわかっていらっしゃるのですね。
言われれば言われるほど、自分と自分の体の中にもう一人の別の存在がいるゆえの葛藤に陥るのかもしれません。
そしてイメージしている胎児と一心同体のような妊娠・出産ではなく、常に違う存在であることを意識するとは思わなかった。
それが「まさか自分が入院することになるなんて」という表現になるのかもしれませんが、どうなんでしょうか。
「出産・育児とリアリティショック」まとめはこちら。