散歩をする 12 <向島百花園>

梅が咲き始めたら行ってみようと思っていた向島百花園 に、先日行ってみました。


清澄白河庭園周辺を地図でながめていた時に、ああそういえばこの公園の名前もなんとなく聞いたことがあると、検索してみたのでした。

向島百花園(むこうじまひゃっかえん)は、東京都墨田区東向島にある都立庭園で、江戸時代に発祥をもつ花園である。みどころは早春の梅と秋の萩である。


清澄白河庭園に行ったのは12月でしたが、付近の家ではもう梅が咲き始めていました。
きっともう満開に近いぐらいになっているのではと、2月に入って行ってみました。
東向島駅から歩いて数分で、もう付近には梅の香りが漂っていました。
期待して近づいたのですが、残念なことに、まだ六分咲きといったところでした。


「開園当初は360本の梅」とありますが、現在はどれくらいあるのでしょうか。
こじんまりとした庭園ですが、さまざまな梅や植物が植えられていて、池や石碑を巡りながら歩いていると、周囲を住宅街に囲まれていることもふと忘れそうになりました。


当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。

その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(明治14年)には公営の公園として出発した。

1945年(昭和20年)3月の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も消失してしまった。戦後は跡地を少年向けの野球場にしようという声も出るなか、「百花園」として復興されることとなり、1949年(昭和24年)再開された。

幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時のおもむきを保っており、文人庭の遺構としても貴重なものである。江戸時代の花園として僅かに今日に遺るものであり、その景観、遺跡ともに再び名勝に指定され、保護措置がとられることとなった。

あの荒川放水路がなかったら、たとえ土地が遺っても植物が育つのは難しかったのかもしれませんね。
歴史を残すというのは、なかなか大変なことだと思いました。



暖かな早春の日差しの中で、甘酒をいただき、梅と水仙の香りを楽しんだお散歩でした。





「散歩をする」まとめはこちら