記憶についてのあれこれ 40 <体育と運動>

ここ数日の寒波で各地の大雪のニュースが流れています。この大雪の風景を見ると、いつも蘇ってくる場面があります。


1980年代初めの20代の頃、日本でもスキーが流行しました。
私もスキーをしてみたくなり、何年も前から関東の有名なゲレンデを制覇するくらいの腕前だった兄弟に教えてもらいました。
最初に連れて行ってもらったのは、長野の八方尾根スキー場でした。


初めてスキーの靴と板を履いた私を、兄弟はリフトに乗せて上級者コースの頂上に連れて行ったのです!
リフトからおりるだけでも戦々恐々でしたし、私には垂直に見えたゲレンデを滑れるわけがありません。じゃあと言って上級者コースを滑り降りる兄弟を恨みながら、リフトでふもとまで戻ったのでした。


でも、あれが負けず嫌いに火をつけてくれたのだと思います。
次の休みとお金がたまると友人たちと滑りに行き、自分でもけっこううまくなったと思います。
あのまま毎年スキーに行っていたら、あの八方尾根も制覇できたのではないかと思うのですが、その後は正反対の気候の東南アジアやアフリカへの関心から、スキーから離れてしまいました。


<体育と運動>


学科としての体育は苦手でした。
成績はいつも3でした。
とくに苦手だったのが跳び箱で、最高4段でした。あれを飛び越さなければ行けないと思うと、足がすくんでしまうのです。
「もしバランスをくずしたら、手の骨を折るのではないか」という不安が頭を支配して、踏み切り板を蹴る事ができなくなってしまうのです。


跳び箱ができないことだけで、私は自分が運動ができない人だと思っていました。
体育の授業全般に自信が持てず、自信がもてないからなお動きがぎくしゃくするという感じです。


中学・高校になると部活動がありますが、運動神経の悪いはずの私がなぜか運動をしたいと思い、運動系の部に入りました。
そこで自分がやりたいと思ったひとつの種目に練習をすれば、それなりに上達する楽しさを知りました。


1970年代はまだ小中高校生向けのスポーツクラブは一般的ではなかったので、学校の部活動が唯一、特定の種目に挑戦できる機会でした。


<運動好きになる>


「体育」として成績評価される学校を卒業してからのほうがむしろ運動好きになり、けっこう運動能力があるかもしれないと自信がつきました。


看護学校から数年は、毎日のようにジョギングをしていました。
継続することとそして少しずつ上達することの達成感、あるいはある種目なら自信を持ってできるという点は、学校の相対評価ではなかなか認めてはもらえない部分です。


そして30代から自己流ですが始めた水泳が、自分の運動能力だけでなく人生への自信になっています。


最初は、クロールで25m泳ぐのも沈みそうでした。
20年泳ぎ続けた結果、けっこう美しいフォームで連続で長く泳げるようになりました。
背泳ぎも同じくらい泳げるようになりました。
そこそこスピードも出せます。


継続は力なりということと、自分にあったものが見つかればいくつになっても運動を好きだと思えるように上達することを実感しています。


毎年、大雪のニュースをみると、八方尾根の頂上の風景の記憶とともにそんなことを考えています。






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