母乳育児という言葉を問い直す 6 <「補充食を食べさせる混合哺育」>

私の体格は同世代、50代の日本女性の中では後ろから3分の1ぐらいです。
さらに身長が伸びた若い世代に比べると小さくなりましたが、まあ日本の中では中肉中背より少し大きいという感覚でした。


ところが1980年代から東南アジアで暮らした時には、私は現地の「大きい、太い」というニュアンスの言葉をかけられることがしょっちゅうありました。
たしかに現地の女性は小柄で、中年になるとそこそこ太ってくるのですが、それでも私の方がなんだか大女になった気分でいつもちょっと気持ち縮こまって小さく見せようとしていました。


今80〜90代の私の両親世代から比べれば、子どもの世代はぐっと日本人も体格がよくなりました。<日本人の平均身長・体重の推移>で紹介したように、1950年から2007年の間に男女とも身長が10cm以上も伸びています。


東南アジアの歴史の資料で、現地と人と並んで日本人が写っている戦前の写真をよく目にしますが、現地の人とおなじぐらいの体格だったという印象です。
きっと私が戦前に生まれて東南アジアで暮らしていたら、「大きい、太い」とは言われなかったかもしれません。


私たち1960年代前後は、日本で粉ミルクが混合栄養の手段として一般的になった世代でもあります。


<「補充食を食べさせる混合哺育」とは>



さて、「離乳食」あるいは「補完食」とも異なる「補充食による混合哺育」という言葉が、「常時離乳している」で紹介したダナ・ラファエル氏の文章で使われています。
再掲します。

伝統的文化社会に生きる母親が、母乳を飲ませると同時に、わずか生後2週間という早い時期からいろんな食べ物を少しずつ子どもに食べさせ始めているのを知って、私たちは大変驚きました。
子どもが3〜4ヶ月ともなるとほとんどの村でとうもろこしや米・その他手に入るものは何でも使って、半がゆをつくり食べさせていたのです。
ここでは1ヶ月半から半年の赤ちゃんたちには母乳哺育をしながら補充食を食べさせる混合哺育が普通で、ごく日常的な哺乳体制であるようです。
WHOとUNICEFユニセフ)が5年後に行った調査でもほとんどの文化圏で普通に見られるパターンはこれであるという報告がありました。



1970年代のこうした調査を踏まえて、ダナ・ラファエル氏はこう書いています。

乳児は混合食で育てられているーこれが一番大事なことです。一応母乳で育てられてはいるのですが、非常に早い段階で母乳以外の食べ物も食べさせられているのが実情です。

WHO/UNICEFもこの事実を大事にしていれば、今頃、完全母乳(exclusive breastfeeding)という言葉を生み出さなくて済んだはずです。


<日本の「混合哺育」>


日本の補充食による混合哺育はいつごろまで、どのように続けられていたのでしょうか?


私が看護学生の頃、小児科看護のテキストでは「2ヶ月になったら離乳準備として果汁を与える」と書かれていました。2000年代に入っても、そのように指導していた産院があったので驚いた記憶があります。


ただ、もしかしたらその産院の指導も、平行して別の食物を与える混合哺育からの過渡期だったのかもしれません。


つまり粉ミルクが手に入らなかった時期には、それに代わる食物を与えて栄養を補っていた混合哺育です。
現在の私たちが使う「混合栄養(母乳とミルク)」とも異なる、粉ミルクも補充食のひとつの選択に過ぎなかった時代が最近まであったのかもしれません。


こちらで紹介した「大正末期より昭和20年代における育児方法をたずねて ー伝承によるその自然な姿ー」という論文の中に、日本でかつて与えられていた補充食のてがかりになる箇所がありました。

乳児の栄養については、不明の1名を除き、全員が母乳を与えている(表19)。そのうち5名は母乳が足りず、何らかの代用乳で補っていた。(p.65)

母乳以外に与えていたものとして、「牛乳、重湯、大豆乳、粉乳、山羊乳、穀粉、練乳、もらい乳」などががあげられています。



私が生まれた半世紀前の日本でもまだ熊の手でお祓いをしながら無資格者がお産に立ち会っていたわけなので、これらの代用乳での混合哺育が当たり前のように行われていた時代でもあるのではないかと思います。


私が両親よりも体格が大きくなり、東南アジアで「大きい、太い」と言われたのは、もしかしたら混合哺育でも粉ミルクを使う過渡期に生まれたからかもしれないと思えるのです。




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