世界はひろいな 25 <社会の中での身体能力>

もし跳び箱があの3分の1ぐらいの長さだったら、あるいは別の種目との選択制だったら、私も体育を不得手だと思わなくてすんだかもしれません。


ところで跳び箱って誰が考えていつ頃から使われたのだろうと、いつものWikipediaからです。

19世紀初頭、空間での身体能力を向上させるための器具としてスエーデンで考案された。初期の跳び箱は、縦・横ともに1m50cmの正方形であり、北ヨーロッパでの普及とともに幅が細くなっていき、1920年代には安全性を考慮し現在のような台形へと改良されていった。
日本では1885年(明治18年)から学校教育に木馬が取り入れられており、開脚飛びなどの跳躍運動が行われていたが、1901年(明治34年)木馬より利便性や安全性が高い器具として跳び箱が紹介され、1913年(大正2年)に制定された学校体育教授要項によって全国の学校に跳び箱が設置されるようになった。


200年も前に考えられたものなのですね。
でも、200年前の北欧の国で求められた身体能力って何だったのでしょうか。


<社会の中で求められる身体能力>


身体能力について、weblioでは「身体が持つ能力。運動能力。多くは膂力。持久力、聴力や瞬発力」とあります。「膂力」という言葉を初めて知ったのですが、「りょくりょく」で「筋肉の力。腕力」だそうです。


跳び箱も苦手だったし、何かの種目で特別人より秀でているものもないので体育は「3」でしたが、持久力はけっこうある方でした。


ところが、20代半ばに東南アジアで暮らして、私はまた「身体能力」が低いのではないかと落ち込んだのでした。


乗り合いバスの天井や柱につかまってたくさんの人が乗ったり、車がひっきりなしに通る道を車をよけながら横断していました。
また漁師や漂海民の人たちと小さな船で移動する時には、狭い板をひょいっと渡って船に乗り込まなければなりません。
山の方の少数民族の人たちと暮らすと、ラタンココナッツを採るときのように、身軽に山の中の道無き道を歩き、木に登り、見ていて本当にほれぼれとするような動きでした。


そんな生活の中では、私の動きはとろくてよく笑われました。


ある時、少数民族の一人を日本に招待しました。


自分の国では俊敏な動きの彼女が、スクランブル交差点のような日本の雑踏では戸惑うことが多かったようです。特に改札機、当時はまだタッチパネルではなかったのですが、切符を入れたらすぐに通過するという反応に慣れるまでは緊張していたようです。


身体能力の優劣ではなく、それぞれの環境によって求められる身体能力は違うという、当たり前の話なのですが。


あのぶつからないように歩くクールな人ごみや満員の通勤電車に乗ることは、世界でも比類のない瞬発力と持久力が求められているかもしれません。


何が言いたいかというと、現代の日本の体育の授業には跳び箱は必要ないのではないかと思ったのでした。
あれは器械体操やMONSTER BOXに挑戦したいような人だけでよいのではないかと思いますけれど。




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