行間を読む 41 <「子どもの死を無駄にしない最低限の礼儀」>

2008(平成20)年の内閣府の白書の「青少年の成育環境」に乳児死亡に関する統計があります。
(直接リンクできないので、「乳児死亡、原因」で検索されると見つかると思います)


昭和30年代には年間7万人近い1歳未満の乳児が死亡していたようですが、現在は年間3000人弱にまで減少していることがわかります。


その原因について以下のように書かれています。

乳児死亡の原因としては、戦後は肺炎や腸炎などの感染症疾患が多かったが、昭和50年には全死因数の10%にまで減少し、現在では「先天奇形・変形及び染色体異常」「出生時仮死及び周産期に特異的な呼吸障害」及び「乳幼児突然死症候群(SIDS)」などが高い割合をしめるようになっている。


厚生労働省の人口動態統計年報最新データーの「死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数、死亡率」の表では乳児死亡の順位と死亡数は以下のようです。

第1位 先天奇形・変形及び染色体異常 (897人)
第2位 周産期に特異的な呼吸障害 (361人)
第3位 乳幼児突然死症候群 (145人)
第4位 不慮の事故 (124人)
第5位 胎児及び新生児の出血性障害等 (99人)


周産期に関するものは、異常の早期発見・早期対応でまだ改善の余地があるのかもしれないので身が引き締まる思いです。


そして第3位と第4位の1歳未満の不慮の死に対しても、何か予防のために伝えられる事はないのだろうかと、小児科医をはじめ医療従事者、子どもに関わる全職種の試行錯誤が続いてきたと思います。


毎年、全国で二百数十人の1歳未満の赤ちゃんが不慮の死で亡くなっている。


これは「日常の感覚」に表すと、どの程度になるのでしょうか。
分娩施設に勤務していると、「上の子が乳幼児突然死で亡くなった」「病気で亡くなった」というお母さんに出会います。
日々、多くの親御さんと出会う私たちでも、2〜3年に一人か二人、いえ数年に一人か二人いらっしゃるかどうかという感じです。
あくまでも私の感覚ですが。


でも、稀にしか遭遇しないようなことだからこそ、その悲しい経験を次に生かせることができたらと思いを新たにさせられます。


まして、その死に直面する小児科の先生方、あるいは小さい亡骸を解剖しなければいけない先生方にすれば、なんとか対策を見つけたいと思われることでしょう。


それが、「子どもの死に関するわが国の情報システム」をなんとしても確立させたいという動機でもあるのだろうと思います。


昨日の記事で紹介した日本小児科学会の「子どもの死に関するわが国の情報収集システムの確立に向けた提言書」の「はじめに」にこんなことが書かれています。

そもそも死ぬ蓋然性がない子どもを死なせないことは社会の責任であり、小児が死亡した場合、その死が予防可能であったか、同様の事例の死亡を防ぐためにはどのような施策が必要であるか、といった議論を、子どもに関わっている機関が集い、徹底的に検討することは、死亡した子どもに対して行う最低限の礼儀であり、そこから得られた知見を予防に生かすことは、子どもの死を無駄にしないという社会の覚悟の表れであり、また不幸にして子どもを失った遺族に対しての最大のグリーフケアの一つであると考えられる。


ただし、その「知見」を得るためにはまだまだ日本の検証のシステムができていないことも書かれています。

しかしながらわが国では、そのような多機関での小児死亡事例検討を行う素地すら整っていない。内因死亡事例に関しても、その死亡を学問的に詳細に検討し、疫学的なトラッキングを行うシステムがないために、疾病死亡の本質的な側面についての貴重な情報の一部を欠いているともいえる。また、そのことが、予防接種後に死亡事例が生じた際の混乱の遠因になっているとも考えられる。


予防接種や医療に対する忌避感、あるいは原発事故後の子どもの健康に関する根拠のない話の広がりなどをみても、大人がまず「全体像がわかっていない」ことに対する忍耐力と「拙速に答えを求めない」という科学的な態度があれば、これほどの混乱はなかったのかもしれません。


もう少し続きます。




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