医療介入とは 98 <臍帯と胎盤はどのように扱われてきたのか>

赤ちゃんが生まれた後に臍帯をいつ切るかということについては、私が助産師学生だった1980年代後半あたりがちょうど、ゆっくり切るか早めに切るかの過渡期であったことはこちらの記事に書きました。


その後、「自然なお産」の流れの中では、臍帯拍動が止まってから切ることや夫が切ることに意味を持たせる話をよく聞くようになりました。
そのあたり、「へその緒」に関する記事はこちらです。

「臍帯をいつ切るかについての医学的議論」
「臍帯を切るタイミングの自然と不自然」
「臍帯を切ることに関するあれこれ」
「左と右そして左右非対称、臍帯の捻転」
「臍帯消毒についての記事」
「臍帯の断面」
「臍帯切断は医療行為以外の何ものでもない」

また胎盤についてはこんな記事も書きました。

「胎盤ー胎児を無菌状態に保つ壁」
「胎盤を食べさせないための啓蒙」


胎盤を食べたいとか、新生児の体の一部である臍帯を自分(家族)で切りたいとか、実際にはごくごく限られた一部の人たちだと思っています。
ええ、統計なんてありませんからあくまでも私の印象に過ぎないのですが、たとえば日本で助産所・自宅分娩は全出生の1%程度です。その先鋭的な方々の全員が希望するわけでもないでしょうから、そうそう流行になるほどの話しでもないかもしれません。


さらに、臍帯を切断せずに胎盤を新生児につけたままにしておくロータス・バースに挑戦するような人は、年間何人もいないことでしょう。


人数は少なくても、それを見守るご家族が心配して「どうしたらやめさせられるか」と私たちに質問されたら、どう答えたらよいのでしょうか。
先日来、考えているのですが、それをしたいと思う人の気持ちを変えるのは難しいだろうなと、悲観的なところでとどまっています。


<人類は胎盤と臍帯をどう取り扱って来たのか>


ところで30年以上前の看護学生時代の授業でも、「臍帯を結紮し切断、そして胎盤を娩出させる」という順序で学んだと思います。
助産師学生の時には、自ら臍帯を結紮し切断する方法を学びました。


なんとなく人類はどの地域でもずっと昔からこうしてきたと思っていたのですが、ブログを書くようになって、案外その歴史は浅いのだと見えてきました。


たとえば、「近代産婆の分娩介助 臍の緒を処理する知識と技術」の中で、1940年代の日本でも、家族だけあるいは無資格者による分娩介助では危険な方法で処理されていたことが書かれています。

・・・そして臍の緒切って、赤ちゃんをよけて、それから後産をね。だから臍帯結紮も何もしないわけよね。切ってから麻糸かなんかで赤ちゃんの方は縛るの。だけども母体のほうは、胎盤ついたままで切ってそのままだから、そのために大出血おこした場合は危険が大きいわけね。水道の蛇口みたいに血がどんどんでますよ。
「出産の文化人類学 儀礼と産婆」(松岡悦子著、海鳴社、1985年)


結紮してから切断ではなく、切断してから結紮していることに驚きます。
しかも赤ちゃん側を結紮するのはあとでとなると、臍から失血した赤ちゃんもいたのではないかと思います。


臍の緒を切る時には新生児側と胎盤側の2カ所をまず止めて、その間を切断します。
それ以外に私はしたことがないので、この文章を読んで「そうか胎盤側を結紮しないとそんなに出血するのか」と、助産師ながらちょっと青くなりました。


現代の産科医療で当たり前に行われている安全な臍帯切断方法も、その歴史は1世紀にも満たないものなのかもしれません。


胎盤と新生児を切り離そうと考えたのは何故か>


半世紀ちょっと前の日本でも、新生児と母胎それぞれが失血する危険性があるほど未熟な方法で臍帯が切断されていたわけですが、それでも、「出産後すぐに新生児と胎盤は切り離した方がよい」という何か普遍的なことを理解していたからではないかと思います。


臍帯を切断するためには鋭利な道具が必要になります。
臍帯のワルトン膠質というのは、簡単には引きちぎることも切ることもできない強靭な素材です。


さらに、その道具が不潔であれば新生児破傷風など死につながる重篤感染症が起こります。
切ったばかりの竹の断面を利用するとか、刃物を火や煮沸で殺菌するなどが工夫されてきました。


臍帯を切断することによる感染症のリスクを考えれば、「切らないでおく」選択も考えられていたのかもしれません。
鋭利な刃物が手に入らない時代や地域では、そうしていたのかもしれません。


ところが子宮内では胎児を育てていた胎盤も、母胎からの血流が途絶えれば死んだ臓器にすぎませんから、だんだんと腐っていくことでしょう。
臭い始め、融解し始めたものを新生児の側におくことでの危険は、感染症による新生児死亡となったのではないでしょうか。


もちろん「細菌」や「感染」という概念がない時代では、「魔物に赤ちゃんを奪われた」などの表現になったのではないかと思います。


出生後は胎盤が腐敗する前には新生児と切り離す。
それは人間の出産には普遍的に必要なことなのかもしれません。


動物のように臍帯を母親がくいちぎるだけではダメで、結紮し、清潔な刃物で切断する。
それが人間には必要だと人類が気づくまでには、そうとう悲しい事実が積み上げられていたのではないでしょうか。


ええ、想像するしかないのですけれど。


人類は「いつ頃から」「なぜ」新生児と胎盤を切り離したほうがよいことに気づいたのでしょうか。