気持ちの問題 4 <シュールな光景>

私が助産師になった1980年代末以降、ほんとうにいろいろと驚く方法が出現するのが出産界隈なのだと感じています。


一言で表現すると私には「シュールな光景」という感じ。
あのフリーダ・カーロの絵を見た時のような気分が襲ってくるのです。


たとえば水中分娩もそのひとつ。
母親の血液だけでなく排泄物まで混じっている可能性のある水の中に新生児を産み落とすなんて、その一点を考えただけでも非現実的な方法だと思います。


胎盤を食べることや、夫や子どもに臍帯を切断させることもシュールだなあと感じます。



あるいは、前回の記事の帝王切開術中の「早期皮膚接触」いわゆるカンガルーケアも、お母さんはまだ腹部の縫合をしている最中にその胸で新生児がおっぱいを吸っている光景にも「シュール」という表現を使いました。



さらに最近は、夫や子どもまで帝王切開に立ちうことができる施設もあると聞いて驚いています。
私自身がもし帝王切開を受ける側であれば、自分の内蔵が露出している状態で家族が手術室にいることや、自分の胸の上に新生児がいる状況は、うまく表現できないけれど「何か一線を越えてしまっているのではないか」というもやもやした思いがあります。


まあ、気持ちの問題なので何が正しいというわけでもないでしょうし、社会にそれを求める声がでてくれば対応せざるを得なくなりますね。


先日も、「家族がへその緒切断『推奨しません』・・・産婦人科医会が見解」(読売新聞、7月14日)という記事がありました。

 出産後に、夫ら家族が記念にさい帯(へその緒)を切る行為が広まっていることを受け、日本産婦人科医会は、「医師と助産師以外が行うことは違法となりかねず、推奨しない」とする見解をまとめた。近く会員の産婦人科医に周知する。
 さい帯は、胎盤から胎児に栄養や酸素を運ぶための血管が通っており、出産後に止血した上で特殊なはさみで切断する。
 近年、妊婦側が産院側に出産時の希望を伝える「バースプラン」が普及し、夫の立ち会い出産も増加。「お産に参加したい」「父子の絆を深めたい」などの理由から、へその緒を切ることを望んだり、産院側がサービスとして行ったりするケースが増えていた。
 見解では、さい帯切断は、「医療行為」にあたり、医師か助産師が行うものとした。一方で、諸外国で家族によるさい帯切断が一般的であることにも配慮し、「(家族が切る場合は)医師の責任で、家族の十分な理解を得て行われるべきだ」とした。
 同会の木下勝之会長は、「医師がしっかりみていれば大きな危険はないが感染や、誤った場所を切断して出血を招く恐れはゼロではない。出産は安全が第一であることを妊婦と家族も忘れないでほしい」と話している。


自分の手で切りたいと思う人がほんとうに「増えている」のか、諸外国では「一般的」なのかはよくわかりませんが、社会がそれを求めれば対応しなければいけなくなる葛藤が出ている文章だと思います。


「さい帯(へその緒)」と書かなければ一般の人にはわからない臍帯に関する知識のレベルなのに、「自分が切っても大丈夫」と思うあたり、「一線を越えている」と私は感じるのかもしれません。


あるいはあの手術という緊迫した状況は、全身管理から感染予防まで徹底した対応が必要だからこその雰囲気なので、そこに手術の何が危険なのか専門知識がない人を入れることも「一線を越えている」と私の中では警報がなるのです。


さまざまな失敗から築き上げて来ている医療とは何かが違うシュールな光景に見えてしまう、そんなことが周産期看護には多いなと感じています。




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