思い込みと妄想 35 <呼吸についての妄想>

ブログへの検索ワードに「呼吸の始まり」がありました。
「呼吸の始まりと啼泣(ていきゅう)」という記事を書いたので、それを読んでくださったのかもしれません。


その言葉から逆に検索してみて、「ああ・・・」とうなだれました。
新生児の第一呼吸でさえ、代替療法になり、そしてセミナーや資格になっていくのかと。


そのサイトには、人が生まれた直後の呼吸について独自の考え方が記されていました。
たとえば「自己呼吸の始まり」はこんな感じ。

胎児は胎盤を通して呼吸をしています。胎盤から送り込まれてくる新しい血液を循環させ、母親の酸素と栄養素を受け取ります。そして古くなったガスを再び胎盤を通じて手放していきます。
胎児は十一ヶ月あまり、母親の呼吸とともに過ごすこととなりますが、その仲介役が胎盤であり、それを結びつけているのがへその緒なのです。

ここまではそれほど間違いでもないのですが、次の箇所から少しずつ「思い込み」が入り始める印象があります。


このへその緒を切る瞬間から胎盤を通じた母親からの酸素経路を断つことが始まります、と同時に初めて我々の自分の肺を使った新しい酸素経路が開かれます。
その瞬間が「おぎゃあ」という産声です。これが我々の日々の呼吸の始まりです。


「酸素経路」という言葉で何を表現したいのかはわからないのですが、通常、へその緒を切る前にはすでに、「おぎゃあ」という声(第一啼泣)とともに肺呼吸が始まっています。



ですから、この書き方だとちょっと順番がおかしいですねと誰かがアドバイスして、書いた方も理解してくださればそれで終わる話です。




<へその緒を切るタイミングに意味を持たせる>



ところが、どうもこの「へその緒」とその中の血流というのは、人を情緒的にさせるようです。
何か「神秘」を感じさせ、あるいは文学的な表現をしたくなるものなのかもしれませんね。

へその緒を切る儀式によって母親から独立を果たすことが、この一声で記されるわけです。
実は、この『おぎゃあ』はこれまで元気な赤ちゃんの誕生の証として扱われてきましたが、へその緒を切るタイミングによっては、熱く耐えがたい体験となります。そのことを真っ赤な顔をして、深いしわを刻みながら苦痛の表情を浮かべる顔が物語っていたのですが、残念ながら出産の歴史はその泣き声の真実を誤解してきたのです。
この場合、その体験は初めての自己呼吸と痛みや怖れの感情とを結びつけてしまう可能性があります。



もしかしてパニックを訴える叫び声をあげていたかもしれないというのに。


たしかに出生直後の新生児の泣き声と表情は、見る人によっていろいろな受け止め方があることでしょう。


そして独自の受け止め方を持つ方が表れるのも気持ちの問題ですし、新生児の感情まではわからないので「それは違うよ」とも言えないところがもどかしいところです。


ただ、その考えを人に伝えて信じてもらおうとし始めると・・・。

へその緒を切るタイミングは出産のプロセスによって異なります。
しかし、多くのお医者さんは『無酸素症を避けるため、一刻も早い対応が必要だ』との理由から、出産直後にへその緒を切ってしまいます。これが現状でしょう。
その結果、生まれたばかりの赤ん坊は初めての大量の酸素の熱い洗礼を受けます。それでも『おぎゃあ』と泣かない場合は、赤ん坊の脚を刺激して泣かせる必要があります。必要とあらば、命にかかわることですから叩かれます。昔であれば足首をつかんで逆さづりにして背中を叩きます。ここまでのことはなくとも、肺が未熟だと判断される早産児や仮死状態で生まれたブルーベビー(血の気のない真っ青な赤ん坊)帝王切開で生まれた赤ん坊は、人為的に自己呼吸が施されることとなります。
なかでも帝王切開で生まれる子は産道を通る経験をしていないために、肺を刺激するプロセスが抜け落ちることとなり、自己呼吸のための準備期間なくしてへその緒が切られることとなります。


赤字で強調した部分は、私が働いている周産期医療の中では使われることのない表現なので「何を言っているのだろう」と思った箇所です。



臍帯をいつ切るかについてはさまざまな状況でのリスクを考えながら研究や議論が続いています。臍帯拍動を待つことがよいという単純な話ではない時代になりました。


また、おそらくこの方は帝王切開で生まれる瞬間を実際に見たことがないのではないかと思いますが、よほど超緊急帝王切開でなければ、お腹から生まれた赤ちゃんも普通に第一呼吸が始まり、とくに蘇生なども必要がないことが多いです。


そのことも誰か周囲の人が教えてあげたらよかったのに。



<個人的体験談が思い込みを強くする>



そして個人的体験談が続きます。

何をかくそうこの私も1.800グラムで早産し、未熟児のために早期臍帯切断と気道を確保するための器具を入れられ、初めての呼吸をコントロールされたグループに属しています。
そして、私の娘は前述のような体験をしていないケースです。
彼女は、海老名市の片桐助産院で水中分娩で生まれました。
お湯から掲げた後に産声をあげましたが、思いのほか激しく泣かなずにすぐに泣き止みました。


水中分娩についてアメリ産婦人科学会から「実験的な手法であり、結論は『Don't do it.(行うな)』」と危険性を勧告されています。
水中で生まれることも、新生児にとっては「初めての呼吸をコントロールされた」状況といえるでしょう。しかもリスクの高い方法で。


「臍帯を切るタイミングの自然と不自然」に書いたような考え方にたどり着くうちに、「酸素経路」という言葉を思いつかれたのかもしれません。


ああ、周囲の誰かがその方向の間違いを知らせてあげたら、「呼吸の始まり」からセミナーを開いたり、資格商売を始めたりしなかったでしょうに。
各地の開業助産師とつながりを持ち、助産院を拠点にセミナーを開いているようです。




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