気持ちの問題 16 <プライドというやっかいなもの>

世の中の人間関係のやっかいさのキーポイントが「プライド」なのかもしれないと、親子関係や職場の人間関係などをみてもいろいろと考えさせられます。


ところでこの日本語のようになじんでいる「プライド」って何だと検索してみましたが、頼みの綱のWikipediaにもほとんど記述がなくて、weblioコトバンクに意味が記載されているぐらいでした。
いつごろからどのように使われて広がったのだろうと、気になりますね。


どの説明にもだいたい、「自尊心」「誇り」といったポジティブなニュアンスから「うぬぼれ」「思い上がり」といったネガティブなニュアンスまでを含む、なんとも幅広くあいまいな表現のようです。


私自身は、「ちっぽけなプライド」というニュアンスでこの言葉を思い浮かべることが多いのですが、「人間ってそういうことをやっちゃうんだよね」と突き放したユーモアと対になっている感じです。


ですから「プライドがある」「プライドが高い」というと、なんだか自分を突き放して笑うことができない余裕のない状況あるいは意固地になった状況に陥っているようなネガティブなイメージです。


<たくさん注意されて仕事を覚えてきた>



どの仕事にもそれぞれ複雑で多岐にわたる業務手順があるわけですが、看護の仕事も何千という「手順」や「決まりごと」から成り立っています。
ひとつをおろそかにすると、思わぬミスや事故につながることがあります。


中途入職者が入るとたとえ看護師・助産師として経験があっても、その職場の業務を覚えるまでの数ヶ月ぐらいは、かなり周囲で気を配りながら仕事が抜けないようにサポートが必要です。


まったくの新人だった頃は、さぞかしいろいろと細かいことまで先輩たちに注意されていたと思うのですが、なぜかその頃の「注意された」記憶がありません。


むしろ中途入職で他の施設に移ったばかりの頃に言われたことのほうが、なんだか心の澱のように残っていることがあります。


きっと、これもちょっと仕事ができるようになったがゆえの「ちっぽけなプライド」かもしれません。
あるいは20代後半から30代ぐらいの、社会人としても何か自信が出て来たゆえの頑さもあったことでしょう。


仕事上の注意やアドバイスを言う側になったり、言われる側になったりを何度も繰り返していくうちに、相手のプライドを刺激しない言い方や受け止め方というのもなんとなくつかめてきました。


ちょうどその頃に知ったのがベナーによる看護師の5段階でした。今から十数年前でしょうか。


こういう初心者から達人までという指標を知っているだけで、自分が今どの段階かということを客観視できるし、たとえ経験年数があっても新しい職場に移れば「初心者」として心構えもできます。
新しい職場に移れば、20代とか30代のスタッフから業務をオリエンテーションしてもらう場面もありますが、自分が教わる側であり業務をこなせるようになるまで見守ってもらっている側であることを受け止めやすくなります。



このベナーによる看護師の5段階は、ちっぽけなプライドにこだわらないように気持ちを切り替えることにとても役立ちました。


また反対に、教える側が陥りやすいちっぽけなプライドも見えてきます。


まあ、なかなか理想通りに合理的にはいかないのが人間関係なのですが、自分はどの段階なのかということを意識するのは、ちっぽけなプライドに翻弄されない手段とも言えるかもしれません。


倫理的あるいは道徳的な表現であれば「謙虚になる」ということなのでしょうが、どちらかというとそれは「良い人になりたい」という気持ちに傾かせる表現ではないかと思います。


良いかか悪いかではなくて、どこかに「人間ってそういうことやっちゃうんだよね」という失敗学のような突き放し方とでもいうのでしょうか。
そのこつがつかめれば同じ状況でも見方が変わってくるかもしれないと、自分自身で試行錯誤中です。





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