記憶についてのあれこれ 104 <「記憶していなければ答えられないことを質問してはいけない」>

最近の父との面会は、無事にホールへ車いすで行くことができて、コーヒーを一緒に飲み、お菓子を食べることができる平和な時間が続いています。



気分にはムラがあるので、眠くてほとんどしゃべらない日もありますし、だと思い出して話が進む時もあれば、最後まで「妹」とも認識せずに、スタッフの一人と思っているのかなという日もあります。


それでも、持って行ったお菓子とコーヒーを「おいしい!」と本当に喜んでくれるので、私が父にとって誰であろうと全然気になりません。


ただ、やはりスタッフの中には、「この人はどなたですか?」と質問される方がいらっしゃいます。
父の顔が緊張でかたくなるので、すぐに私の方から「妹です」と名乗るようにしています。


おそらく、スタッフにすると「記憶がなくなっていくことで家族が辛い想いをしているだろう。すこしでも記憶が残っていることがわかる言葉を引き出せたらうれしいのではないか」という、家族に向けた気持ちがあるのかもしれません。


認知症の介護の中では、そのあたりどのような対応がよいかなどの議論はあるのかなと気になっていました。


浜松市にある特別養護老人ホームのホームページに「記憶していなければ答えられないことを質問してはいけない」という記事がありました。


認知症は記憶に関する障害なのですから、まったくこのひと言が本質的な関わり方だと思います。
でも案外と、ポロッと相手の記憶を試すことをしてしまいがちですね。
このホームページの記事では、おもに認知症の家族に向けてかかわり方のヒントを書かれています。それは家族の方が、なかなか客観的に自分の身内の変化を受け止められないので、記憶を試そうとしやすい状況が多いのでしょう。


ただ、家族とは違って、客観的に相手を観察し対応するスタッフもまた同じことをしやすいのは、ケアというものが相手の感情とそれ以外の感情、そして自分の感情の中で混沌としたものになりやすいからかもしれませんね。

質問するかわりに、こちらから、抜け落ちてしまった記憶をおぎなってあげる方が良い援助につながります。「記憶していなければ答えられないことを質問してはいけない」ーこれはケアの鉄則なのです。あなただって答えられないことを質問されつづけたら、おそらく惨めな気持ちになっていくでしょう。


まさにそうなのですが、こうした対応ができるまでには時間と経験が必要で、達人看護師で紹介したように、「状況を直感的に把握し」「患者に傾倒すること(commitment)、状況に巻き込まれること(involvement)」ができるレベルではないかと思います。


そのホームページに引用されている「メアリーの事例」を孫引きですが紹介させてください。

「(施設へ移ってからの)メアリーにとって最もうれしかったのは、家族が面会に来てくれることでした。メアリーは、たまに家族の名前を思い出すこともありましたが、たいていは思い出せませんでした。一週間前に訪問してくれたことも覚えていません。それで、ときどき、家族に見捨てられてしまったと愚痴を言っていました。そんなとき、家族は答えに窮しましたが、それでも彼女の弱った体に腕をまわし、手を握ってあげました。あるいは、黙ってそばに座り、ときには歌をうたってあげました。メアリーにとって有難かったことは、家族が、ついさっきメアリーが口にしたことや、先週面会に訪れたことを、むりやり思い出させようとしなかったことです。また、この人は誰、あの人は誰と、矢継ぎ早に彼女に質問を浴びさせることもありませんでした。メアリーのなかでは、家族に抱きしめてもらったり、やさしく接してもらうときが最高の時間だったのです。


ここまでできるのは、相手の状況を受け入れるまでの葛藤や試行錯誤があったからで、「達人レベル」のかかわり方ではないかと思います。


スタッフも家族も、いろいろなレベルで葛藤し試行錯誤しているので、なかなか理想通りにはいきませんが、「記憶していなければ答えられないことを質問してはいけない」はケアにかかわるどのレベルの人も知っておくと良いのではないかと思います。


ただ、案外こういう本質的で大事なことは社会から振り向かれないのかもしれませんが。





「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら