気持ちの問題 33 <子どもの頃に客観性を教わること>

この年になって、子どもの頃に親から言われたことで「なるほど、こう活かされるのか」と感謝していることがあります。


それは小さい頃から、「人をジロジロ見てはいけません」といういたってシンプルなルール。
子どもというのは好奇心旺盛ですから、何か気になる人や物があるといつまでもずっと見ていたりします。


小さい頃には、ただ「ジロジロみてはいけない。見られた人が嫌でしょう?」という禁止や制止の単純なルールで、ジロジロみては叱られの繰り返しだったのだと思いますが、そのうちに「自分が見ていたのは、体に特徴がある人だった。きっとその人は見られて嫌な想いをしているかもしれない」と、自分がしてしまいがちな行動に気づいたり、相手の立場にたった物の見方が少しずつできていくのではないかと思います。


そしてある年代になると、高齢者もまた人をジロジロと見る人が多いような気がし始めました。
電車でも、中高年以上の人がじっとこちらを見ています。
「何か私の顔や服がおかしいのかな」と落ち着かない気持ちで、しばらくしてそっとそちらを見ると、また目が合います。
何なのだろうとイライラした時期もありました。
「子どもの頃に人をジロジロみてはいけないと、親から注意されなかった人なのかしら」と。


ところが、だんだんと、私自身も電車内でぼーっとどこか1点を見つめていることが多くなったことに気づいて、ちょっと愕然としました。
考えごとをしながら見るともなく広告や窓の外を見ていて、その視線の先には他の方が座っています。
「あ、ジロジロみているように見えてしまったかな」と慌てて、下を向いて目を閉じます。



こんな時にも「ああ、恥ずかしい」と感じます。
自分の行動を客観的に見ることができていなかったので。


車内を観察していると、若い世代の人と目があうことはほとんどありません。
目が合うのは幼児と中高年以上の人です。


おそらく子どもは好奇心で人を見つめてしまうのでしょう。
そして中高年以上になると、もちろん無遠慮に人を見ていることもあると思いますが、それ以外にも視力やその他の感覚の変化で反応が遅くなっていることも自覚したほうがよいのかもしれませんね。



「人をジロジロ見てはいけない」
複雑なことでもないし、とりたててすごいことでもないのかもしれませんが、これを繰り返し繰り返し教えてくれたことが、この年になって役立っていることがありがたいと、最近思います。




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