記憶についてのあれこれ 105 <同じ認知症の人が集まる場>

先日、たしかNHKだったと思うのですが、若年性認知症になった女性が中学校で自分の体験を伝えているニュースを見ました。


50歳になった頃から認知症になったその女性は、目の前にある服をどう着たらよいか分からなくなる様子を、実際に中学生の目の前で見せていました。
服を前に困惑した表情で袖を頭にかぶってみたり、何度も何度も試しながら、ようやく袖を腕に通して着ることができるようでした。


認知症の不安は「記憶がなくなる」ことが、日常生活動作の全ての部分に影響することであることは、父を見ていてわかるようになりました。


一緒にホールでコーヒーを飲み、お菓子を食べる時も、だんだんと食べたり飲んだりするその行動が失われていることを感じます。
手の力が弱くなったのでストローでコーヒーを飲めるようにしているのですが、途中でそのストローを抜き取っていきなりお菓子に突き刺して食べようとしたりします。
お菓子にはフォークをつけてあるにも関わらず。


数年前にまだ両親と出かけて食事をしていた頃は、父は必ず母と同じ定食を頼んでいました。
父の様子を見ていると、目の前に並んだ食事をどう食べてよいのかわからなくなるようでした。
母が先に食べているのを見て、自分も同じように食べる。
外での楽しい食事のようで、父には緊張する時間なのかもしないと感じたのでした。


ですから、父と一緒に何かを食べる時にはまずさりげなく私が食べて、父がわかるようにしていたのですが、最近は手を添えることが必要な場面が増えました。


さて、冒頭の女性は、同じ認知症の人たちの集まりに出かけることで救われたという話をされていました。



きっと、記憶を試されることの不安を共有できるからではないかと想像しました。
同じ苦しみを持っている人たちだからこそ、黙ってお互いの動作を見て察することができるのだろうと。


そこでもう一つ、認知症のドキュメンタリーを思い出しました。
2〜3ヶ月前ぐらいでしょうか、「徘徊」をテーマにした番組だったと思いますが、裸足で歩く高齢男性に「靴はどうしたのですか?」と質問する場面から始まっていました。
その質問はご本人にとっては記憶を試されるもっともつらい質問なのではないかと、見ていてこちらが辛くなってしまいました。


認知症でない人たちは認知症の方達の記憶に最も関心を寄せます。
でもそれがもしかしたら、最も不安にさせる周囲の行動のひとつになるのではないか。



さて、いつも病棟内の廊下を歩き続けて、時々歌を聴かせてくれる女性と先日、立ち話をしました。
何が話のきっかけだったのか忘れてしまったのですが、「私はここのみんなと一緒にいると楽しいの。だから皆のためになりたいの」という答えが返って来たのでした。


やはり「家族が一緒のほうが幸せ」「施設よりは自宅が幸せ」というのは時に一方的な解釈で、こういう閉鎖病棟であっても秩序のある空間であり、同じ苦しみを持った方達がどこかで共感しあえる場でもあるのかもしれません。
「記憶を試される」ことがない人間関係があるので。





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