反動から中庸へ 7 <「子どもたちの自由と開放」の反動>

開発途上国」や「貧困」のイメージ写真によく使われるのが、栄養失調の母親しなびたおっぱいに吸い付く乳児の写真と、もうひとつ小学校低学年ぐらいの子どもが弟や妹を腰のあたりで抱えて世話をしている写真もあるかもしれません。


現代の日本では、まず見ない風景です。


東南アジアで、乳児を腰のあたりで抱えている小さなこども達を初めて見た時、ショックではなく懐かしさを感じたのは、自分自身にもそういう記憶があったからに他ならないことは、当時はまだ気づいていなかったのかもしれません。
「先進国の日本から貧しい国に援助に来た」という気持ちの方が強かったので。



私が東南アジアで初めて暮らした1980年代前半の日本でも、そうやって弟や妹を世話をしている子どもの姿はありませんでした。
私たち世代でさえ、子どもが一人とか二人という家族がほとんどの時代になりましたから、正確な統計があるのかはわかりませんが、妹や弟の世話をした経験を持つ人も珍しくなったのではないかと思います。


私自身、乳幼児の世話をした経験がないまま看護学生になりましたから、初めて新生児を抱っこしたり、保育園実習で幼児に接した時の緊張感は今でもなんとなく甦ってくるほどです。
自分自身が子どもだった時代がちょっと前まであったはずなのに、何をどう接して良いのかわからない怖さというのでしょうか。


助産師になってから、「初めてお母さん、お父さんになる」方たちとたくさん出会ってきましたが、中にはとても初めてとは思えないほど新生児に緊張しない方もいらっしゃいます。
そういう印象を持った方には必ず「妹や弟さんを世話をした経験がありますか?」と尋ねるのですが、たいがいがご自身が小学生の頃に少し年が離れて赤ちゃんが生まれた方々です。
おそらく、幼児の頃よりはもっと赤ちゃんを世話をすることに積極的に関わって、より鮮明な体験の記憶として残っているのだろうと推測しています。


あるいは、ペットが小さいうちから世話をしていた方なども、新生児や乳児への緊張感が少ない印象があります。


1950年代ぐらい生まれぐらいまでの世代には、まだ自分の妹や弟を自分自身が幼児の頃から世話をしていた経験があるかもしれません。
1960年代生まれあたりを境に、自分の子ども時代に子どもの世話をした経験を持つ人は激減して、子どもができた時に初めて子どもの世話とは何かに直面するようになったのではないかと常々思っているのですが、どうでしょうか。



そして同時に、「子どもたちの自由と開放」を謳った児童憲章にあるような児童に対する考え方により、乳幼児の世話は大人の責任である時代に、わずかの間で急激に変化したのだろうと思います。
しかも、子どもを世話をした経験がまったくかほとんどない大人によって。


たとえば第6章にはこんなことがあげられています。

児童は、その人格の完全な、かつ、調和した発展のため、愛情と理解とを必要とする。児童は、できるかぎり、その両親の愛護と責任の下で、また、いかなる場合においても、愛情と道徳的及び物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない。

たしかに、子ども一人一人が大事にされるような社会へと向かっているように思います。そのために大人が責任を持つことが当然であり、放任や虐待はいけないという認識が広まったのだと思います。



でも、もしかしたら、良い大人、良い親にならねばという方向が強く働いて、「子どもとはどういう存在なのか」が置き去りにされている反動の時代のようにも見えるのです。


誰もが子ども時代を経験しているから子どものことはわかる、とはいえないのが子どもという存在なのかもしれません。
新生児だって本当に、わからないことだらけですしね。



私たちは本当に子どものことをどれだけわかっているのでしょうか。




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