世界はひろいな 37 <赤ちゃんや子どもが泣かない社会もある>

今日のタイトルだけでもきっとたくさんの方の心をざわつかせる、書き方によっては「炎上案件」なのかもしれません。



この記事は2年ほど前に書いて、下書き記事として温めておいたものです。



数年ほど前、何の話題だったのか忘れましたが、「赤ちゃんがあまり泣かない社会もある」ようなことを書いた方に対していくつも批判がついた記事を読んだことがあります。
「そんなはずはない」「子どもは泣くもの」「子どもがうるさいのは当たり前で、それをうるさいと感じる社会は不寛容」「子育て世代に冷たい」「皆、子どもだったのに」といったものだったと思います。


でも私はむしろ、同じ体験をした人がいらっしゃることを心強く感じたのでした。


なぜ日本では(ネット上ではと言ったほうがよいのかもしれませんが)、「子ども」のことになると、マナーや社会の寛容性の話にひとっ飛びになってしまうのだろうと考えているうちに、時代の反動なのかもしれないと思えて来たのでした。


それで、こんな記事を書いたのでした。

子どもという存在
子どもらしくというのはどういうことか
「子どもたちの自由と開放」の反動


以前、「授乳と社会支援」の中で、東南アジアで暮らした時の体験を書きました。

また男性も女性も小さい子どもたちのあやし方がとても上手です。
ちょっとぐずりそうになると、誰か彼かすぐにあやして赤ちゃんの気を紛らわせています。
ですからあれだけ子たくさんの社会でも、子どもが泣き叫んでうるさいということは不思議とありませんでした。
東南アジアの男性は一見マッチョで強面なのですが、その男性が老いも若きも皆ベロベロバーに一変する様子に、私は最初の頃本当にびっくりしたものです。


その記事では、こうした赤ちゃんや子どもを見守る「人手がある」ことを主眼にして書きました。
現金収入を得る職が少ない社会で、親戚に居候になりながら家事手伝いをする若い世代の人が多いことも背景にあるのではないかと。


今日はもう少し別の視点から、この「赤ちゃんや子どもが泣かない」社会について、記憶をたぐりよせてみようと思います。


<母親が24時間赤ちゃんと一緒にはいない社会>


赤ちゃんは飲みながら排泄をするで書いたように、母乳をあげている時期の赤ちゃんであれば赤ちゃんの少しの変化でお母さんたちはすぐにおっぱいを吸わせ始めます。


私の現地の友人は2〜3ヶ月頃には仕事のためにミルクに切り替えていましたが、赤ちゃんがぐすりそうになるとすぐに調乳をして飲ませ始めていました。
授乳方法に関係なく、本当に私はその地域で新生児や乳児の泣き声というものを聞く事がほとんどありませんでした。


では、お母さんたちは24時間ずっと赤ちゃんのそばにいるかといえば、そんなことはありません。
仕事をしていたりふらっとどこかに行ったりして、その間は誰かほかの人、たとえば赤ちゃんの兄・姉や親戚の子どもたちなどが誰か彼か赤ちゃんの側にいて、気を紛らわせてくれています。


それはそうですよね。たとえば赤ちゃんの5つの泣き声のパターンを読んでも、お母さんの存在が絶対的に必要というのは直接母乳を飲ませるときだけですし、それがミルクであれば誰でも大丈夫なのですから。


いえ、決してお母さんの存在をないがしろにしているのではなくて、世界中をみれば母親が自分のほとんどの時間と気力・体力を赤ちゃんに注がなければいけない社会ばかりではないということを知るのは、私にとって目から鱗でした。



でも、思い出してみれば、私の両親の世代もそんな感覚がまだ残っていた時代だったのでしょう。



<子どもを観察する経験量の差もある>


1980年代から90年代に東南アジアで暮らしたり、行き来した経験は、私にとっては私の両親世代の日本がまだ子だくさんだった頃の追体験でした。


1960年代生まれの私には、3人兄弟姉妹ぐらいはたまにいましたが、ほとんどが子どもは2人という家族でした。
私自身が看護学生になるまで、周囲で赤ちゃんや子どもとはほとんど無縁の社会でした。
ですから初めて産科実習で新生児に接した時や、小児科実習や保育所実習で子どもに接することに、とても緊張感があった記憶があります。


ちょっと前までは自分自身が子どもだったはずなのに、20歳前後になると子どもへの接し方さえ学ばなければわからないほど、異次元の世界のようでしたから。


東南アジアで暮らした時には、私と同世代の人たちでも数人の兄弟姉妹がいたり、あるいは親戚や近所にも子どもがたくさんいたので、皆、ごくごく自然に子どもの世話をしていました。


私だったら「この子は2歳だから、トイレはこう介助して。食べる時にはこう手伝って・・・」と、それだけで頭の中が真白になりそうでしたが、その国の人たちは男女ともに自分が2〜3歳になるとすでに見よう見まねで下の子の世話を始めていたのですから、その経験量には太刀打ちできるはずがありませんね。


子どもの頃から赤ちゃんや乳幼児を観察し、相手に何が必要かを知っている社会では、もしかしたら赤ちゃんはあまり啼いて伝えなくても済むのかもしれません。


世界中へ旅をしたり、暮らす日本人が増えたので、無意識にそういう「赤ちゃんが泣かない社会がある」という経験をしている人もまた増えたのではないかと思います。
「子どもは泣いて当たり前」「うるさくて当たり前」に、反対にびっくりされる社会があることを。




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