完全母乳という言葉を問い直す 35 <助産師はどのように母乳育児支援を学んできたか>

日本の産科施設で、母乳育児支援はどのように変化してきたのでしょうか?


わずかに手元に残る教科書や資料をもとにした回想ですので、記憶違いの点もあるかと思いますが、私が看護職になってからの変化を思い出してみようと思います。


50歳前後から上の世代であれば、ちょうど産科施設での授乳方法が大きく変化してきたことをリアルタイムに経験してきました。


思い返すと、ちょうど10年ごとに大きく変化してきたような印象があります。


<1970年代終わりの頃>


私が看護学生として産科病棟で実習をしたのは1970年代終わりの頃でしたが、まだ当時は「自律授乳」という言葉はありませんでした。
分娩直後にすぐに新生児室に連れられていき、それから3時間ごとの規則授乳という方法がとられていました。
母乳のあとに必ずミルクを飲ませる方法でした。


当時の教科書は手元にないのですが、私にとって産科病棟での実習は、退院まで新生児室から新生児は外に出ることがない中で看護学生が哺乳瓶でミルクを授乳している記憶だけでした。


そして、新生児は生後1ヶ月には「出生時体重から1kg、体重増加している」と習った記憶があります。
生理的体重減少で最も少なくなった体重の時点からではありませんでしたから、体重が増えていることにかなり重点が置かれていた印象でした。


<1980年代終わりの頃>


東南アジアの難民キャンプで働いた後、1980年代後半に助産婦学校に入りました。


当時使用していた教科書は「母子保健ノート 助産学」(日本看護協会、1987年)でしたが、1980年に出された第2版が元になっています。


その教科書には「母乳栄養確立のための授乳指導」ではまだ「自律授乳」という表現は使われていませんが、1989年に出されたWHO/UNICEFの「母乳育児成功のための10か条」を生み出していった、世界の母乳推進運動の影響があちこちに感じられます。


たとえばこのような内容です。

a.授乳開始
母子ともに異常がなければ、出生直後でもよい。
授乳開始を生後8時間とか12時間など規定しているものもあるが、あまり根拠はない。また、初めに哺乳びんで白湯や糖水などを与えてから、授乳を開始するというものもあるが、母乳とは口の動かし方の全く異なるゴム乳首をはじめから吸啜させることへの疑問も発せられている。乳汁分泌量は微量であるが、初回の吸啜は乳汁分泌の引き金としての刺激が主な役割であり、Le-Leche League(世界母乳連盟)やラマーズ法により主体性のある出産を志向している人たちの間では、早期初回授乳は大切なものとされている。(p.372)

10年前の看護学生の時に習ったこととは、全く別の時代に産科は入っていました。


<1990年代ー母子同室・自律授乳の時代へ>



1960年代に施設分娩に移行してからは、母子別室・規則授乳が標準になりました。
生まれた直後から母親と離れた場所で新生児を育てるという、人類にとっては初めてともいえる授乳方法が試された背景には当時の乳児死亡率の高さがあり、医学的な根拠があった可能性は以前も書きました。


ただ、当時の1960年代初めまではまだ自宅で出産する人が半数いましたし、出生後に医師や助産師・看護師に見てもらうこともないままの新生児も相当数いたことでしょう。


胎児も新生児も十分に観察され見守られていたわけではない時代は、ごく半世紀ほど前まであったともいえることでしょう。
まだまだ新生児をどのようにケアすることが安全なのか、試行錯誤の時代だったのかもしれません。


少しずつ新生児が観察され、より本来の授乳方法へと戻していくために、こうした母乳推進の動きが後押ししたといえます。



こうした世界中の変化を感じながら助産師も少しずつ変化し、1990年代に入ると母子同室・自律授乳を試みる動きが大きくなりました。


新生児室からお母さんのベッドへ新生児を連れて行く。
今では当たり前のこんなことも、小児科医や産科医の許可を得てようやく連れ出せるようになりました。
夜間も授乳をしたいというお母さんに個別に対応していくために、病棟の設備や業務内容を見直すなどそれはそれは山積みの問題をひとつひとつ解決していく必要がありました。


一番大変だったのが、自律授乳によって1ヶ月までに新生児はどのように成長していくかというデーターが全くない手探りの状態だったことかもしれません。


1ヶ月健診で自律授乳によって体重の増え方が悪いと、小児科医から問題とされました。
1970年代の混合栄養時代の体重の増え方は参考にならないところもありますが、実際に母乳の自律授乳だけでは退院時からほとんど体重が増えていない場合もありました。


すでに母乳の免疫その他の利点は明らかになっていましたが、「母乳だけで大丈夫」とは言えない状況が実際にあることが、今もなお、母子同室・母乳のみの自律授乳に切りかえない施設が多い一番の理由ではないかと思います。
いえ、そういう全体像を調べた調査も目にしたことがないので、推測ですが。


<2000年代ー哺乳びん・ミルクの否定、完全母乳>


ところが2000年ごろになると、WHO/UNICEFの「母乳育児成功のための10か条」の中の「医学的に必要がないのに母乳以外のもの、水分、糖水、人工乳を与えないこと」が強調される時代になりました。


その10か条を実践している病院を「赤ちゃんに優しい病院(BFH)」として認定することが日本でも広まり始めました。


「医学的に必要がない」ということはどういうことなのか、「社会的に必要」という状況ははどうなのかという議論もほとんどありませんでしたし、それがお母さんと赤ちゃんの生活にどのような影響を与えるのかについても継続した調査があるわけでもありません。


たとえ、一日中、何もできない状態でずっとおっぱいを吸わせて精神的に不安定なお母さんがいても、あるいは目の前の赤ちゃんの成長さえ喜べずに、母乳を出すために産後数ヶ月たっても母乳相談に通い続けるお母さんたちが現にいても、それも母乳育児成功率に含まれてしまいます。


「医学的必要性」だけでは、子どもは育てられません。
そんな当たり前のことさえ認めない母乳育児支援の雰囲気が広がってしまいました。
1990年代頃からの、臨床での自律授乳の試行錯誤の経験もいかされないままに。


母乳育児に関していろいろな考えや試みがあり、現在にいたるまで混沌とした状況が続いています。




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