母乳のあれこれ 13 <「母乳のための食事」の流れ・・・1980年代から90年代>

1980年代頃からの、母乳のための食事についてはいくつかの流れがあるのではないかと考えています。


ただ、1980年代前半というと私自身はまだ20代前半でしたし、産科には全くといってよいほど関心がなかったので、今回は1980年代終わり頃からの記憶をもとにした印象の話です。


1980年代というのは母子別室・3時間ごとの規則授乳から、母子同室・自律授乳に大きく変わった時代であったことはこれまでも書いてきました。
施設のさまざまな限界から母子同室・自律授乳をすぐには取り入れられなくても、助産師の中ではその方法を模索し始めていたのではないかと思います。


<「よいおっぱい」「よい乳質」>


1960年代に開業助産婦の生き残る道として始った桶谷式乳房マッサージと母乳相談を地域でしていた助産師は、病院勤務で規則授乳しか体験のない大半の助産師に比べれば、出産後から卒乳(当時は「断乳」)までの経過についての経験量を持っていた方たちでした。


検索すると、1981年に主婦の友社から「桶谷そとみの母乳育児の本」が出版されています。
母乳をもっとあげたいと思うお母さん達や、どのようにアドバイスしたらよいか模索していた助産師にとって待ちに待った本だったのではないかと想像しています。


その後、桶谷そとみ氏の母乳育児に関する本が何冊か主婦の友社から出版され、版を重ねていきました。
私も助産師になった当時は、何冊か購入しました。
残念ながらすでに処分してしまいましたが、内容で印象に残っているのが母乳授乳でも「3時間ごとに目覚ましをかけても授乳する」という点と、それは「乳質のよいおっぱいのため」ということでした。


乳質」、授業でも学んだことのない言葉でした。
「あっさりして後味にのこらないおっぱいがよい乳質」という独自の定義のようなものだったと記憶しています。


「乳質」が悪いおっぱいだと赤ちゃんがぐずりやすかったり、脂漏性湿疹がひどくなるなどと書かれていたと思います。
その「乳質」をよくするために、和食を中心に、しかも「米7.野菜3、魚を少し」などは強調されていました。
また、甘い物、脂っこい食事は避けるようにとも書かれていたと記憶しています。


<山西みな子氏の「自然育児」>


1988年には、桶谷そとみ氏に師事していた山西みな子氏が正食出版から「母乳相談110番ー母乳育児のQ&A−」という本を出しました。


山西氏は桶谷式の「3時間ごとの授乳」から規則にしばられない授乳法、自律授乳を勧めようとしていた印象があります。


ただ、以前から食物アレルギーに関心のあった山西みな子氏はマクロビオティックを取り込み、それが助産師に影響を与えていったのではないかということはこちらの記事に書きました。


その中にも「母乳の質」という言葉が出てきます。

母乳の質は、母親の食事に大きく影響されるというものがあり、これを体質にした食事法が玄米菜食と謂うことになります。


桶谷式のよい乳質のための「和食を中心にした食事」「甘いもの、脂っこいものは控える」から、アレルギーを予防し乳質をよくするための玄米菜食へと、考え方が広がったのが1990年代でした。


そして1990年代後半になると、世界中で「現代医療に足りない部分を補完する」ための代替医療という捉え方が広がったことも、助産師の中で食事療法や民間療法をそれまで以上に取り入れていく後押しになったのではないかと思います。


残念なことは、「乳質」とは何か、それは本当にどのようなことに影響するのかしないのか、助産師の中でも科学的な検証がされないままであったことだと言えるでしょう。



こうした「乳質」、つまり「よいおっぱい」のようにわかりやすい言葉は助産師だけでなく、お母さん達にも広がりやすく支持されやすいものでした。



ただもうひとつ、「おっぱいのためにこれはダメ」と特定の食品を避けるように指導したのは助産師だけではありませんでした。
次回は、乳腺炎予防の食事について書かれた本を紹介します。




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