母乳のあれこれ 12  <「母乳のための食事」が広まった時代>

1980年代終わり頃に助産師になった当時、母乳育児に関する助産師向けの実践的な専門書は皆無といってよいものでした。


その頃に勤務した総合病院は、当時でもまだまだ珍しい母子同室、入院中にはミルクを足さない(足させない)方針の施設でした。
分娩後、歩けるようになるとお母さん達は赤ちゃんが泣くと呼ばれて、授乳室で授乳をしていました。


なぜ母子同室なのにベッドで授乳できずに授乳室まで行かなければならなかったかというと、総合病院の産婦人科病棟という構造上の限界がありました。


大部屋、3人部屋、個室とありましたが、当時はまだ個室料金の制度が導入される前でしたから、少ない個室は重症者や感染症のある患者さん、あるいは臨終の近い方が優先されていました。


ですから、母子同室は大部屋しか選択がありません。
タイミングがよければ、同じ部屋が全て産後のお母さんたちのこともありますが、時には切迫早産・流産で入院の必要な方が入ることもありました。


さすがに子宮筋腫の手術や婦人科癌で治療入院の方、あるいは流産・死産の方が一緒になることのないように配慮しましたが、常に患者さんが入れ替わる中で同室者の組み合わせを考えてベッド移動をする必要がありました。


そんな状況ですから、赤ちゃんが泣き出すとお母さんたちはあわてて授乳室に駆け込む必要がありました。
授乳室だけが唯一、赤ちゃんの大泣きにもお母さん達が気を使わなくてすむ場所でした。


でも「眠ったかな」と思って部屋に戻ろうとした途端に赤ちゃんにぐずられて・・・の繰り返しで、赤ちゃんの眠りと行動を考えれば最も遠回りの方法をさせていたと、今は思います。


母子別室・3時間ごとの規則授乳から、母乳を中心にした自律授乳への混乱期の始りの時期でした。


<母乳のための食事が書かれた本が出始める>


私が助産師になった当時、母乳の成分や分泌の過程を医学的に説明した本はありましたが、乳房うっ積や乳汁うっ滞の違いもまだ明確になっていませんでしたし、乳腺炎の実際の対応もまだ標準化されたものもありませんでした。


当時、私は「日本という先進国の周産期医療を学んだ」と思っていたのですが、今考えればほとんどの方が病院で出産する時代になってわずか20年程のことですから、産科看護の学問化もまだまだ始ったばかりだったといえるのでしょう。


入院中から退院後の、「おっぱいの張り」への対応はまさに手探り状態でした。


病棟の先輩助産師たちもあまり乳房管理には詳しくなく、どちらかというとどうしたらよいかわからないと積極的でない方が多かった印象です。
今のように周産期看護関連の書物や研修もなく、ネットももちろんありませんでしたから施設内で試行錯誤するしかない時代でした。


そんな中で、多少母乳育児や乳房管理に関心がある助産師が、桶谷式マッサージに答えを求めようとしたのかもしれません。


桶谷式マッサージの本、桶谷そとみ氏の自伝、そして桶谷式マッサージの相談所を支持していた主婦の友社の母乳育児関連の本に実践的な解決方法が書かれていました。


教科書には書かれていない、母乳育児のための食事が書かれていました。
また手ごわかったおっぱいの張りや詰まりを「予防してくれる食事」が紹介されていました。


「これだ」と飛びつくのも無理がないほど、本当に手探りの時代だったと思い返しています。
その時代に影響を受けた助産師が、中堅から熟練者として現在働いているということになります。


まだまだしばらくは混乱が続くことでしょう。




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