世界はひろいな 5 <We are the world>

以前は家にいる時には必ず何か音楽をかけていたのですが、最近、すっかり音楽と離れた生活をしています。


こちらの記事の<正義感と理想>やこちらの記事の<強い感情は、新しい世界への扉>に書いたように、私はどちらかというと感情の部分で強く反応してのめりこみやすかったので、心を揺さぶるような音楽とも距離を置こうと無意識のうちに避けるようになったのかもしれません。
イスラム音楽が発達しなかった理由として、「音楽は酒や麻薬のごとく人の心を酔わせ、理性的な働きを麻痺させる危険なもの」という考え方を持った人たちがいたこともわかるような気がします。


さてカメルーンの女性に出会ったことがきっかけで、この曲を久しぶりに聴いて、不覚にも感情の波に襲われてしまったのでした。

「We are the world」


<1980年代のアフリカ>


看護師として働き始めてまだ2年目の1982年に、それまでは漠然と「途上国で働いてみたい」と思っていたものが「絶対に行く」という決心に変わりました。


私の背中を押したのは、インドシナ難民の問題とともに当時のアフリカのニュースがありました。
スーダンの内戦ソマリア内戦とエチオピアの侵攻など、当時最もと言ってよいほど戦火の激しい地域の状況がニュースになっていました。


それらの国のある東アフリカに引かれたまっすぐな国境には、さまざまな立場の見方と複雑な歴史があるのでしょう。


日本国内にもキリスト教関係など、スーダンソマリアエチオピアの人たちに支援をしようという組織ができ始めていました。
ただ、当時はまだこうした救援の経験が少ない日本人だけで救援組織を現地へ送るのは多くの困難がありましたから、医療スタッフとしてアフリカへ行くのは2〜3年待つ必要がありました。


1982〜83年頃には、すでに内戦だけでなくエチオピアの飢饉について情報が入り始めていました。
当時は、エチオピアという国が滅んでしまうのではないかと思われるほど深刻な状況が次々と伝わってきました。


ソマリアに並んで世界最貧国となってしまっていたエチオピアでしたが、旧約聖書シバの女王にはエチオピア説があるように、古い歴史と文化を持つ国です。


はるか彼方の、まだ見ぬアフリカの国々への憧れや内戦や飢餓で国を追われている人たちへの想いを胸にしまって、1984年、私は先にインドシナ難民キャンプで働くことになりました。


そして赴任した先の東南アジアの国で、このWe are the Worldを聴いたのでした。


<「We are the world」=「USA for Africa」>


We are the world」には10代の頃から好きだったスティーヴィ・ワンダーやサイモン&ガーファンクル、そしてボブ・ディランが参加していますし、何度聴いても20代で過ごした東南アジアやアフリカの空気が一瞬に蘇ってくるので、私にとっては「思い出の」というよりも人生そのもののような曲になりつつあります。


そしてきっとこれからも世界中の人の心に響く名曲であり続けるのではないかと思っています。


ただ、サブタイトルの「USA for Africa」を見ると、当時はただ音楽に酔っていて見えなかったものが少しだけ見えるようになってきました。
「神を囲む大きな家族」「神は石をパンに変えた」
それを言葉通りに受け止められなくするような、こちらの記事に書いた伝統的な家族主義のようなアメリカのキリスト教の流れや、「片手で援助、片手で搾取」によって成り立っているこの世界です。


1985年にこの曲を初めて聴いた時は、私自身が海外ボランティアという善意と正義の行動の真っ只中にいましたから、感動だけがありました。
今は、あの時に比べると少しだけ、「We are the world」という理想に酔わずに聴くことができるようになってきたのかもしれません。




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