気持ちの問題 14 <なぜ代替療法が良くみえるのか>

紫雲膏のことをつらつらと考えていたら、ちょうど「カンボジアを癒す伝統医療、再び注目を集める」(朝日新聞デジタル、apital、2015年12月3日)という記事が目に入りました。


 祈りや薬草で病気を癒す伝統医療師。内戦が続いたカンボジアでは。ポル・ポト派の虐殺で深刻な医師不足になったときも、人々の健康を支えた。経済発展を続ける今、貧富の差を埋める身近な医療として再び注目され始めている。伝統医療の復興に日本人も一役買っている。


祈り・薬草 王朝時代からの知識


 薄暗い部屋に、線香の煙が漂う。金色に飾られた祭壇に、クモの巣が張っている。ノウ・ソフェアさん(32)は祭壇に手を合わせ、目をつむり、祈りを捧げた。首筋に汗がにじむ。2度、深く息をはいて振り返ると、記者に向かって「特に悪い霊はついていません」と言った。


 プノンペンから西へ車で約2時間、水田が広がるコンポンスプー州ドムロンキチャア村。最寄りの診療所まで7キロあるという集落だ。ノウさんは「クル・クメール」と呼ばれる伝統医療師。祈祷(きとう)師の能力もあると村人らに頼られている。16歳のとき、「精霊が夢に現れ、伝統医療師となって人々を助けよと告げられた」と言う。


 以降、祈祷や伝統薬の知識を学び、村人らに「除霊」や伝統薬を使った治療を施してきた。患者を診て、悪霊を感じたら祈祷で除霊し、体の不調に応じ、国内2千種以上とされる薬用植物の葉や根から煎じた伝統薬を施す。


 この日、知人を連れて人生相談にやってきたお年寄りの女性は「病院で治らなかった頭痛が治った」と話した。「足の痛みが消えた」「うつ症状がやわらいだ」という人、電話で海外から相談してくる人もいる。症状によるが、1回の診察で150〜300円程度かかるのが一般的だ。


残念ながら、購読登録していないので私が読めるのはここまで。


以前も似たような記事朝日新聞に掲載されていました。


「親身に相談に乗ってくれる伝統療法師」への強いあこがれのようなものが根強いのでしょうか、一部の人たちには。
そしてそれはなぜなのでしょうか。


<ノンフィクションのようでノンフィクションではないような>


カンボジアには行ったことがないし、カンボジアの医療事情は全く知りません。


でもまず、冒頭の一文がひっかかりました。

内戦が続いたカンボジアでは、ポル・ポト派の虐殺で深刻な医師不足になったときも、人々の健康を支えた


本当に当時、伝統療法師が「人々の健康を支えた」のでしょうか?
であるとすれば、「健康」とは何だったのでしょうか?


Wikipediaポル・ポトの「全権掌握」にこのように書かれています。

 プノンペンは飢餓と疾病、農村への強制移住によってゴーストシテイとなり、医者や教師を含む知識階級は見つかれば「再教育」という名目で呼び出され殺害された。


私が1980年代半ばにインドシナ難民キャンプで働いていた時は、ベトナムカンボジアを制圧しポル・ポト派がジャングルに逃げ込んでから3〜4年経っていましたが、まだまだポル・ポトの影響が強いようでした。


少しずつ、1970年代のカンボジア国内の大虐殺や強制移住などの事実がまとめられて、書籍や映像で見聞きする機会が増えました。
難民キャンプにはカンボジアから脱出して来た方々もいたので、それらの資料を努めて読もうとしたのですが、あまりの壮絶さに吐気と動悸をおさえながら少しずつしか読めませんでした。


インドシナ3国の難民の方たちでも、ベトナム難民の方々は国外脱出までの話を伺う機会が多かったのですが、カンボジア難民の方は親しくなってもほとんど何があったのかを自ら話してくれることはありませんでした。


Wikipediaの「ポル・ポト」の中に、「過酷な労働と、飢餓、マラリアの蔓延などにより多くの者が生命を落とした」とあります。


ポル・ポト以前のカンボジアでは、フランスに留学して医師になりカンボジアの医療を築いた人たちが多かったのではないかと思いますが、そういう「知識層」が真っ先に弾圧され、医療制度は壊滅したのでした。


国内に残された人たちには、疾病を予防する手段もなければ、健康を維持するだけの食糧や安全な生活はなかったことでしょう。


国外に脱出して来たこうした難民の人たちには適切な食糧配給とともに、まず行うのが子どもたちへの予防接種、結核治療、性病治療そしてらい病治療でした。



国内に残された人たちは、どれだけ小児感染症結核で亡くなったり、障害を負ったことでしょうか。


その当時の記憶があるだけに、私にはとても「ポル・ポト派の虐殺で深刻な医師不足になったときも、人々の健康を支えた」とは思えないのです。


もし支えたとしたら、それは私たちには想像もつかないほどの絶望の中だったからではないでしょうか。


私はこうした医療記事を読むたびに、伝統療法とか代替療法へのノスタルジーのような感覚に戸惑うのです。
そしてノンフィクションのようでノンフィクションでないものの背景に何があるのか、気になっています。





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