1986年に2ヶ月ほど、アフリカの某国の医療援助活動に参加しました。
その直前まで住んでいた東南アジアでは、どこに行っても子どもたちが集まってきて仲良くなりました。
最初ははにかんで遠回しに「外国人」の私を観察しているのですが、ちょっとのきっかけでどんどんひとなつっこく受け入れてくれるのです。
世界中、どこに行っても子どもというのはそういうものなのだろうと思っていました。
ところがアフリカのその難民キャンプでは、私が笑顔で近づいても泣き出す小さな子たちがいました。
現地の通訳スタッフにその訳を尋ねたら、「アジアの人を見る機会がほとんどないから、あなたのその黄色い肌に驚いて怖がっている」と言われました。
旧宗主国や欧米の人たちを見る機会があっても、当時、その国周辺にアジア系の人が訪れるのは商社などビジネス系の限られた人たちなので、都市部以外ではほとんど見たことがなかったのでしょう。
きっと日本なら、江戸時代に「毛唐」という今の差別用語が生まれた時代あたりの感覚かもしれません。
<ダッコちゃん人形と黒人差別>
アフリカで私の皮膚の色が小さい子たちに怖がられた2年ほど後に、日本ではダッコちゃんの色をめぐって論争が起きました。
1988年、黒人差別論争が活発化し漫画やアニメのステレオタイプな黒人の描写が差別的であるとしてさまざまな出版社や製作会社が自粛を決定した。
もともとのダッコちゃんの「黒い皮膚」と「腰みの」「厚い唇」などが「人種差別的な要素」とされたようです。
今でこそさまざまな国の人たちが日本のテレビで人気も出て、肌の色や顔のつくりなどの多様性にもだいぶ寛容な社会になったと思いますし、町で外国人とすれ違うことも珍しいことではなくなりました。
この論争のあった時代を振り返ると、まだ外国人に接する機会の少なかった日本社会の中で、アメリカなどの黒人奴隷の歴史や社会問題に「先進国」として敏感にならざるをえなくなったことがあるような気がしています。
そして日本人も黄色人種として見下されているというコンプレックスとの混ざり合った反応だったのかもしれません。
肌の色などの違いという「事実」は事実でしかないけれど、価値観や気持ちの問題で反応したのかもしれません。
<不思議な感覚>
私と一緒にその国へ赴任した人は、当時の日本ではまだまだ珍しい「アフリカ大好き」の人でした。
特に「黒い肌が大好き」と。
東南アジアに暮らしていた時、現地の女性から「日本人は肌が白くてうらやましい」としょっちゅう言われました。
反対に、私はあの褐色の肌がとても美しいと感じたので、せっせと肌を焼いていたのですが。
その褐色の肌の国から黒い肌の国へ移り住んで、私も現地の人たちの肌の色に魅せられました。
そして、民族が異なると黒い肌も微妙に違いがありますし、ひと目で出身国や出身部族がわかるぐらい多様性があることがわかりました。
そして何よりも、1ヶ月ほどするとふと相手の肌の色なんて全く意識しなくなる感覚が、今想い返しても不思議なのです。
現地の通訳ボランティアと話をしていても、目と気持ちだけで伝え合っているという感じです。
お互いにたどたどしい英語でしたが、大事なことは伝わりわかりあえたような感覚になる(と、信じていますが)とともに、ふと前にいる人の黒い肌もなにも見えなくなるのです。
魂で話をしている・・・なんていうとちょっと怪しいスピリチュアルになりそうですが。
カメルーンの彼女の横顔を見ながら、ふとその感覚が蘇ってきたのでした。
「境界線のあれこれ」まとめはこちら。