行間を読む 20 <韓国産後調理院の時代背景を考える> 2014年8月4日追記あり

ぽむぽむさんの見学ツアーのおかげで、韓国の産褥施設が1997年に始まったものであることを知ることができました。


韓国の産後調理院が話題になって、なんとなく「韓国の古いよき文化」のように受け止めた人が日本でも多かったのではないかと思います。


まるで日本は昔からすばらしい出産の文化があったかのような思い込みが広がるのと同じように。


前回の記事で紹介した韓国観光社公式サイトの説明を再掲します。

韓国には産褥期の母体のケアを行う「産後調理(サヌチョリ)」の文化があります。出産で弱った心身を回復させるために特別な料理を食べたり、特別な過ごし方をするもので、朝鮮時代からあったと言われます。産後調理はもともと家庭で行うものでしたが、核家族化によって家庭でのケアが難しくなってきたため、現在は出産後に「産後調理院(サヌチョリウオン)」を利用する人が増えています。

たしかに昔のよさを取り入れながら、核家族化で親の手伝いが期待できない人たちをサポートする需要はあるのだろうと思います。


ところが、「産後院の歴史」を読むと、「産後調理」と「産後調理院」とは一字違うだけで全く別なのではないかと思えて来ました。


<「名家」へのあこがれのようなもの>


上記の記事では、「韓国の産後ケアの歴史」として次のように現地ガイドの説明があったことが書かれています。

韓国では、古代からお産を神聖なものと考える文化が根付いており、国王の王子のへその緒を風水に基づき選んだ土地に埋めるという風習があったそうです。

韓国の文化や歴史はほとんど知らないのですが、上記の内容だけで「お産を神聖なもの」としていた根拠になるのか、はたまたそれが「産後ケアの歴史」につながるのか、ただ「国王」という栄華に自分を置き換えさせるような演出に見えてしまいます。


さらに「産婦をいたわる=家の繁栄」では以下のように書かれています。

もともと韓国の名家では、産後養生のための小屋(産後室)を自宅敷地内に建て、産後は姑の世話を受けつつ、そこで暮らすという文化があり、産後調理院もすんなり受け入れられたようです。
「産婦を大切にする=良い子孫が生まれる=家が繁栄する」という思想が背景にあるのですね。

「韓国、名家」で検索すると、ほとんどが「名家(ミョンガ)」という「民衆に誠意を込めて富を分け与えるノブレス・オブリージ(高貴なる者の社会的責任)」を実践した人物を描いた韓国ドラマでした。


韓国の名家や姑はそんなに民主的なシステムだったのだろうかと疑いつつ、はるか昔、高校の授業で聞いた両班(ヤンバン)にはこんなことが書かれています。

高麗時代に両班が作られた時は身分階級ではなく、官僚制度を指す言葉だった。
時代が下がるにつれ、両班の数は増加し、李氏朝鮮末期には自称を含め朝鮮半島の人々の相当多数が戸籍上両班となった。現在の韓国人の大多数が両班の血を引くと自称しているが、族籍を見れば大体分かる。

高麗時代以前にはなかった、両班・中人・常民(農民)・賤民という身分階級から自分を解放させたいという思いが、自称両班を増やして行くのもわからなくはない心境かもしれません。


そして身分制度が厳しかった韓国(あるいは日本も)で、「産婦をいたわる文化」があったとしてもそれはとても限られた人たちであったり、現在とは比較にならないほど貧弱な内容であったのは想像に難くありませんね。



*2014年8月4日追記
この「韓国の産後ケアの歴史」はぽむぽむさんがツアーガイドの方の話をまとめたものです。もう少し詳細を、コメント欄でぽむぽむさんが補足してくださっています。



<1997年とはどのような時代だったのか>


私自身はまだ韓国に行ったことがないし韓国の歴史などには不勉強ですが、韓国から来日している知人も身近にいるので、少しは韓国の現代史を肌で感じる機会があります。


その知人と私は同年代ですが、その世代にとって韓国と日本は「韓流ブーム」以前の日本の植民地政策の歴史を常に意識する間柄です。
そしてまた、韓国はつい最近まで非常に軍隊の力の強い開発独裁の国でもありました。
私の知人たちも、言論が弾圧される中、民主化のために青年時代を費やしてきました。


大韓民国では、軍部出身大統領による開発独裁から「文民大統領の実現など次第に民主的な体制」に変化しだしたのが1993年だったとあります。


ようやく自由な社会の実現が近づいたと思われた韓国にとって、1997年はこのような年でした。

1997年 アジア通貨危機
新自由政策主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った

開発独裁の時代が終わって、本来は国民の医療や福祉の民主的な制度を作り始める時期に、この新自由政策主義を取り入れなければならなくなった。


それが、韓国の産後ケアが医療ではなくビジネスから始まった理由ではないかと思えるのです。
「名家の古きよき伝統によるサービス」を受けているかのような、実はフィクションの演出によって。


さらに医療観光として外国からの利用者拡大に国を挙げて力を入れることになったのではないでしょうか。


産後調理院について考えたことをもう少し続けます。






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