行間を読む 22 <なぜ産後の養生が集団生活なのか>

2〜3年前に韓国の産後調理院の話題を知った時には、韓国の産科入院期間が2〜3日という短期間であるので、その後のフォロー体制が必要としてできたのだろうということと、イスラエルの集団保育のようなイメージがありました。


キブツに書かれている、「生産的自力労働量、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく集団生活」というイメージです。



集団生活というのは、言い換えればかなり社会主義的な側面を持つといえるでしょう。
新自由主義の個人への政府その他の介入を最小限にする方向性とは相容れないように思えます。


出産と産後というきわめてプライベートな状況を、たとえ個室であってもあえて集団生活で行うには、たんに利便性だけではなく社会を大きく動かすような思想の変化があるのではないかと思うのですが、社会保障は最小限にした小さな政府を目指す新自由主義を選択せざるをえなかった韓国が、集団で産後を過ごすイメージがどうしてもつながらないのです。


いったいどうしてこういう集団で養生するシステムが急速に広がったのか、韓国についても経済についてもほとんど知らないので見当違いのこともありますが、推測したことをとりとめもなく書いてみようと思います。


<集団生活を受け入れやすい背景>


2008年の厚生白書の「各国にみる社会保障策の概要と最近の動向(韓国)の「(4)児童健全育成施策」に、「5歳以下の乳児を一日中預かる施設は1991年の嬰幼児保育法施行以降、急速に増加した」とあり、日本で言えば保育園のような施設が急激に増加し、韓国政府がその支援を行っていることが書かれています。


1997年の構造改革を受け入れる際に、当時の金大中大統領が医療や福祉政策を守ろうとした事が「韓国における労働市場の柔軟性とその対応ー新自由主義のパラドックス」という論文に書かれていました。

当時、韓国政府は、新自由主義的な経済政策を受容する代わりに、福祉部門の制度化にも力を入れてきたが、それは貧困層を対象とした国民基礎生活法や全国民を対象とした四大保険と呼ばれる公益保険の国民年金、健康保険、雇用保険、産災保険などであった。このような制度的な保険は新自由主義的な経済政策の展開によって犠牲になりやすい低所得層に対する救済案として発表し、成長の陰の部門で起こりやすい問題を克服しようとした。(p.19)

これらの社会保険制度とともに、集団児童施設も政府が介入する必要のある福祉政策であると、韓国では位置づけられたのでしょうか?


いずれにしても韓国では乳幼児の時点から集団保育に入れることに慣れているということも、こちらのぽむぽむさんのアモリウム産後ケアセンター見学記にあるように産後調理院で新生児をいつでも預かる体制も受け入れられやすかった理由なのかもしれません。


ただし、これは乳幼児ですから、なぜ産後の女性も集団生活を選択するようになったのでしょうか。


<コストを下げ利潤を追求するためには集団化が必要だった>


ぽむぽむさんの見学記事を紹介したこちらの記事で、オクスアイ医療事業開発会社のメールマガジンを引用しました。
その続きには以下のようにあります。

韓国では産後ケアは医療行為とされていません。
出産後の母子の宿泊と生活のお世話をするというサービスなので、空きビルを利用すれば誰でもどこでも事業を開始することができました。
当初は1年で投資を回収できた新たなビジネスモデルだったようです。

ある意味「簡単で」「もうかる」ビジネスだったため、その後産後調理院は爆発的に増加することになりました。
結果として粗雑な業者も出てくることになります。
避難経路の整備されていない雑居ビルの中で開業したために、火事で母子が死亡したりする事故も起きてしまいました。

その他、新生児の感染なども起きているようです。
その後2006年に韓国では母子保健法が改正されて安全な基準が見直しになりました。


ただ、ビジネスであることには変わりがないようです。
それはこちらの記事で紹介した論文に書かれているように、日本でもまだ産褥入院施設は医療法による施設ではなく「ホテル業」に分類されています。


本当に韓国のお母さんたちは、産後をこうした集団生活の場で過ごしたいと思うのでしょうか?
それが必要な事情の方もいらっしゃるとは思います。


でも日本の産院でも、私たちが「もう少し入院していたほうがよさそう」と思うお母さんも、退院間近になるといそいそとして気持ちは家へと向かうようです。


退院してからもう一度、2〜3週間もの集団生活をしたいと思わせるほどの何か魅力がなければ、採算がとれないビジネスだろうと私には思えるのです。
何が韓国の女性を動かしたのでしょうか?


つらつらと韓国の産後調理院について書いてきましたが、次回は「なぜ医療ではない産後ケアが医療観光の位置づけになるのか」という視点で考えてみようと思います。





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