ずっと気になっていたこと・・・東久留米と久留米の関係

散歩の番組といえば「ちい散歩」だったのですが、地井武男さんが急逝されて寂しくなりました。


その後もお散歩番組はそれぞれのキャスターの魅力や視点があるものが続いていますが、「国分太一のお散歩ジャパン」は録画して見ています。
2〜3分と短いので一気にまとめて1週間分を見ているのですが、国分太一氏の気負わない雰囲気とその地域の人とのやり取りが地井さんを思い出してほんわかとした気分になります。


少し前に国分太一氏が東久留米を訪ねた回があって、東久留米市のことを思い出しました。東久留米には親戚がいたので、小学生の頃までは馴染みのある町でした。
そして彼が育った場所であることを知り、一気に親近感がわきました。
人の気持ちって、たわいのないことで大きく変わりますね。


さらに最近、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で福岡県久留米市が舞台になった回を見て、子どものころからずっと気になっていた「東京の東久留米市と福岡の久留米市の関係」を思い出したのでした。


<東久留米と久留米は関係なさそう?>


東久留米ってどこだ?と思う方が多いことでしょうね。
東京都の中でも埼玉寄りにあります。


Wikipedia東久留米市の「地名由来」には以下のような説明があります。

市政施行時、すでに福岡県久留米市が存在していたため、行政的な混同をさけ、また駅名の東久留米が住民に親しまれていたため「東久留米」とした。同様のケースとして、埼玉県上福岡市および上福岡駅(福岡県福岡市との同名回避)、北海道北広島市および北広島駅広島市との同名回避)がある。


その北広島市のリンク先にあるように、「北広島市1884年明治17年)に広島県人によって開かれた」という話をどこかで耳にしたことがありました。
北海道開拓のために広島県から移り住んだ人たちによって「広島」の地名が北海道に誕生したように、東久留米市も福岡県久留米市から移り住んだ人たちによって残された地名なのかなと思っていました。


でも、東久留米市の地名由来には「それ以前の久留米、『くるめ』と読み書く地名となった由来や説はいくつかあるが、具体的根拠を一定以上のレベルで証明できる有力説はなく・・・」とあります。


上記のWikipediaの引用文中の「駅名の東久留米」の部分をクリックすると、東久留米駅の歴史が読めますが、「1915年(大正4年)、武蔵野鉄道が池袋ー飯能間で営業を開始するにあたり開業」とあります。


ちょうど1世紀前にはすでに鉄道が走り、東久留米の駅名が使われていたのですね。


親戚というのは父方なのですが、現在はもうその時代を知る人は鬼籍に入ったり、父のように認知症のため、当時のことを知る人はいなくなってしまいました。


結局、東久留米と久留米の関係についてはほとんどわからない、ということのようです。


本当に一世紀というのは不思議な時間の長さですね。
そして史実を検証するというのはとても難しい作業の積み重ねなのだと、あらためて思います。