呪文のようなタイトルです。
以前から「米原」の地名の由来が気になったままでした。
字面からは水田が広がった場所をイメージしていたのですが、かつては現在の駅近くまで琵琶湖で入江干拓地が美田になったのは戦後ですから、水田の広がりよりは地名の「米」の方が先のようです。
*「米原」の由来*
由来については諸説あります。
そのひとつに、かつて米原町には入江内湖と呼ばれる湿地帯が広がっていて、湿地帯には葦(ヨシ)という背の高い植物がたくさん生えていたため、此の付近を道行く人が迷ってしまうことがあり、そこから「迷いが原(まよいがはら)」と言われるよういなり、いつしか地名が「まいはら」になったとの説があります。
また、16世紀の古文書には、中世の豪族に「米原(よねはら)氏」という姓があったと記されています。古文書にはカタカナでヨネハラと書かれており、当時の武士は領地として手に入れた地名を苗字とする慣しがあったことから、この地が「よねはら村」であっただろうと言われています。ただ、「よねはら」が何故「まいばら」と読まれるようになったのかは明らかになっていません。
「迷いが原」、あの大中(だいなか)干拓地へ向かう途中の西の湖に背の高い葦が広がる風景を思い出しました。
*まいばらとまいはら*
私は「まいばら」と読むのだと思い込んでいましたが、二通りの読み方があることをその説明で知りました。
そして駅東口側の私が歩いた地域は「まいばらしまいはら」だそうです。
日本語は難しいですね。
合併前の米原町は清音で「まいはら」と読みましたが、市名決定に際しては前述の通り駅名などで知名度の高い「まいばら」としました。
Wikipediaの「米原駅」「歴史」を読むと、1889年(明治22年)7月に米原駅が設置されたようです。
それ以前は「まいはら」だったのでしょうか?どこから「まいばら」という読み方が出てきて駅名になったのでしょう。
*米原駅の歴史を読む*
Wikipediaの各地の駅名を読むと、その地域のさまざまな歴史を知ることがあります。
1889年(明治22年)7月に官設鉄道(のちの東海道線→東海道本線)分岐点(後の深谷)ー大津間と支線(のちに敦賀線を経て北陸本線)長浜ー米原間が建設されたことで米原駅が設置され、開業当初から結節点となった。それまでは長浜ー大津間は太湖汽船による湖上連絡を介して名古屋・東京都京阪神方面が結ばれていた。
(強調は引用者による)
現代の東京ー京都あるいは大阪方面へのルートは琵琶湖南端を通るイメージしかないのですが、鉄道以前の時代は滋賀県を通過することも大変だったのですね、きっと。
Wikipediaの米原駅の歴史を読んでいると、「その時代はどんな感じだったのだろう」と興味が尽きないのですが、ふとこの年に目が止まりました。
1973年(昭和48年)12月22日:新幹線の米原駅構内で、突風によって電車線が浮き上がり、外れたハンガイアーにパンダグラフが衝突して補助ちょう架線が破線する事故が発生。この影響で、重架線化工事が完了するまでの間、冬季の米原付近での風速規制が強化された。
同じWikipediaの日本の鉄道事故には書かれていないので、死傷者がいなかったことは幸いでした。
私が中学生の頃でしたが記憶に全くなく、その1~2年後に修学旅行で楽しく新幹線に乗ったのでした。
そういえば2020年に知った琵琶湖の集水域に「日本海側から北西の季節風が吹き付けるため、湖北地域は我が国有数の豪雪地帯となっている」と書かれていたことを思い出しました。
「突風」もその地形によるものだったのでしょうか。
それから半世紀、目の前を2~3分から数分おきに新幹線が通過していく時代になりました。
「米原」その由来はなんだろうと思って検索するうちに、思わぬ鉄道の歴史につながりました。
「行間を読む」まとめはこちら。