昨日の点滴バッグの進化の回想から、もう少し輸液について検索していたら輸液製剤協議会というサイトに「輸液の歴史」が書かれていました。
輸液の起源は17世紀になって、Willium Harveyが「血液の循環の原理」(1628年)を発見したことが端緒とされ、イギリスのSir Christopher Wrenが1658年にガチョウの羽と豚の膀胱を用いて溶解液を犬の血管内に投与したのが始まりとされている。
まだ細菌の発見とか滅菌するという以前の時代だと思うので、現代に生きる私が読むとまず感染のほうが怖いと思ってしまうのですが、それほど人体に水分や電解質を補給するための方法が渇望されていたのかもしれませんね。
輸液療法の効果が印象づけられたのは1920年代で、小児科医のMarriottoらが小児下痢症に輸液製剤を投与し、死亡率をそれまでの90%から10%にまで低下させたことにより、輸液療法が注目されるようになりました。
こちらの記事の最後に紹介した、ナイチンゲールの「看護覚え書」(現代社)を再掲します。
病気の子どもの生命を絶えさすことは、ろうそくの火を吹き消すのと同様、いともたやすいこと。
ナイチンゲールの時代のこどもの「病気」というのは、現代とは大きく異なり、ありふれた感染症をさしているのは想像に難くありません。
1920年代から半世紀後に私が小児科看護を学んだ頃はすでに、小児が感染症で亡くなること自体、あまり現実味をもって想像できない時代になっていました。
この背景には、さまざまな医薬品や治療の発展もあるのですが、まずは脱水を改善するために血管内に水分や電解質を安全に輸液できるようになったことがとても大きな要因だろうと思います。
そのサイトには日本で輸液が広まった時代についても書かれています。
日本では1960年代に1号液(開始液)、2号液(脱水補給液)、3号液(維持液)、4号液(術後回復液)のシリーズが発売され、現在でも電解質輸液製剤として広く使用されています。
今思い返すと、1980年代初頭に外科系病棟に勤務していた頃の輸液製剤というのは、上記の基本的な輸液のほかにいくつか特殊な製剤がある程度でした。
1980年代後半になると、中心静脈栄養(高カロリー輸液)も日常的に使われるようになった記憶があります。
Wikipediaの注射剤の「工程」をみると、計量、混合・溶解、濾過、充填、熔封、滅菌、異物検査、放送・表示の8段階が書かれていますが、このうちのどの部分でも不正確であれば、私たちも安心して患者さんへの治療は行えません。
日々当たり前のように使用している輸液製剤や注射剤ですが、その製品の研究や開発のための努力はすごいとあらためて思います。
輸液製剤協議会のサイトの中に「輸液業界の現状について」というPDFがあります。
それを読むと、あのガラスの点滴ボトルからプラスチックのバッグや注射製剤容器へと製品を改良することも、高額投資・高コスト構造のひとつとして安定供給への危機につながっていることが書かれています。
私に何ができるというような問題ではないのですが、輸液の歴史やその恩恵がすこしでも医療機関を訪れる方々に伝わるようにしていきたいと思うこのごろです。
何世紀もかけて築いてきた医療なのですから。
以前、輸液に関して「医療介入とは」の中で書いた記事はこちらです。
「点滴、血管確保、子宮収縮剤、その1」
「その2」
「その3」
「その4」
「その5」
「分娩時のルチーンの点滴」
「血管確保のまとめ」