医療介入とは 104 切迫早産

最近、切迫早産に対してリトドリンを48時間以上投与することへの批判的な内容を目にしました。

リトドリンというのは、お腹(子宮収縮)の張り止めです。

80年代終わり頃に発売されたリトドリンですが、最初の頃は使用できる妊娠週数も限定されていたり、何日間は保険適応だけれどそれを過ぎると自費になる薬でした。

その場合、一日に何千円かの患者さんの自己負担になるけれど、お腹の張りが確実に止まることが多く、早産予防のための夢のような薬に感じていました。

 

当時から、リトドリンの点滴でも抑えられない切迫早産の妊婦さんを大学病院に搬送すると、すぐにばさりと点滴を中止する施設もあって、「リトドリンは長期に投与しない」という方針の施設もありました。

その医学的議論、医療経済的な議論の詳細は私にはとても理解が追いついていないのですが、現実に子宮収縮が頻繁にあってこのままでは早産になってしまうかもしれない妊婦さんたちが、この点滴のおかげで36週まで妊娠継続できたことは多いので、「間違った方法」「必要のないことを強いられた」かのように世の中に伝わってしまうと、それはそれで強い医療不信のタネを蒔くことになるのではないかとちょっと心配になったのでした。

 

医療の歴史は、140文字で伝えられるような内容ではないですからね。

 

*1980年代から90年代の「切迫早産の治療方法」*

 

1980年代終わりの助産師学校で、何の授業か覚えていないのですが教えに来てくださった産科の先生が、「これからは早産を予防できるようなそんな助産師になってください」とおっしゃられたことが鮮明に記憶に残っています。

 

いつの時代も、卒業したばかりから数年ぐらいというのは「私は最新の医学や看護を学んだ」という昂揚感がある年代なのかもしれません。それで、学んだことを活かして、お母さんと赤ちゃんが早産にならないような看護をしようと、心のどこかにいつもありました。

 

今、思い返すと、産科医の先生たちにするとリトドリンが使えるようになったり、エコーなど診断技術が格段に進歩したり、胎児の安全がわかるようになったり、27週、1000gぐらいの赤ちゃんを救命できるNICUが都内にもぼちぼちできた時代でした。

そしてリトドリンの点滴のためには高価な輸液ポンプが必要ですが、当時は総合病院でも限られた台数しかなかったのでした。

 

さて、その当時、私はどのように切迫早産の治療について習ったのだろうと助産師学校で使用したその名も「最新産科学ー異常編ー」(文光堂)を久しぶりに引っ張り出してみました。

 

まず目次を見て驚きました。「切迫早産」として何ページもあるかと思ったら、たった2ページです。当時は、「子宮外妊娠」「胞状奇胎」「妊娠中毒症」「常位胎盤早期剥離」「前置胎盤」「血液型不適合妊娠」など、次々と病態が明らかにされた時代だったようです。

 

その「切迫早産」の「治療」は以下の通り。

a) 次の場合は早産の進行を止めず、分娩誘導とする。

 ・・・胎児死亡、胎盤早期剥離、前置胎盤(大出血)、胎児奇形、子宮内感染(前期破水)、重症妊娠中毒症、重症高血圧症、糖尿病、陣痛の強くなったもの

 

b)それ以外の場合

 1. 絶対安静の持続

 2.内診をできるだけ少なくする

 3. イソクスプリン(isoxuprine)0.1mg/分、静脈内、40〜60分間欠で、子宮収縮を抑制する。ただし、高血圧、糖尿病、胎児仮死には注意する。

 4.  エタノール点滴静注も子宮収縮を抑制する。

 5. 破水例は6時間後に抗生物質投与、以後6時間ごとに投与を繰り返す。

 

「イソクスプリン」とか「エタノール点滴静注」は聞いたこともないので、おそらくリトドリンへの過渡期だったのだと思います。その前は「絶対安静」しかなかった時代だったのですね。

 

そして「児の予後」としてこう書かれていました。

NICUにより最近は児の予後もかなり良くなったが、一般にも1,500g以下、妊娠34週未満の児は児死亡、呼吸障害、、頭蓋内出血、低血糖などの発生率が高くなっている。 

 

「妊娠24週未満」と読み間違えたかと思いましたが、「34週未満」です。

 

わずか30年から40年ほど前までは、切迫早産は安静ぐらいした治療方法がなく、切迫早産になると児をあきらめる時代だったのですね。

 

 

 

 

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