思い込みと妄想 21 <○○をすると4歳の時の運動能力と社会性評価が高まる>

ここ2〜3日、はてなの検索でこのブログにいらっしゃる方が増えて、私なにかやらかしたのだろうかと心配したのですが、どうやら「へその緒を切るのを2.3分遅らせよ、4歳のときの運動能力と社会性評価が高まると確認」という記事へのコメントで「臍帯を切るタイミングの自然と不自然」を紹介してくださった方がいたようです。


2013年2月の記事ですが、現在も、日本の出産の現場では早期臍帯結紮が標準的ではないかと思います。


臍帯結紮のタイミングに関する医学的な議論については、私はその有用性のある結論を実行する立場でしかないので、詳しいことはほとんどわかりません。


ただ、今後、2分ぐらい臍帯結紮を遅らせたほうが明らかに出生直後の新生児の健康に良い、あるいは長期的にみて乳児期・幼児期に良いことが認められれば、私たちはそのために方法を具体的に変更する必要があります。


臍帯結紮を2分遅らせる。
「時計を見て、2分間待てばよいだけでしょ?」と思われるかもしれませんが、カップラーメンを待つようなわけにはいかないのですね、実際には。


<低体温を予防するため、温かく乾燥した場所に新生児をおく>


胎児は子宮内から羊水や母体の血液とともに娩出されます。
これは動物の出産シーンでよく見かける光景なので、イメージしやすいのではないかと思います。
いよいよ赤ちゃんが産まれる頃になると吸水性ポリマーで作られた分娩シートを敷くのですが、それでも吸い取りきれないほどの羊水や血液です。


その上に新生児を置いたままにすると、どんどんと体温が奪われて低体温になりますから、できるだけ早く体の水分を拭き取って温かい場所へ移す必要があります。
そのために、インファントウオーマーが開発されました。


子宮内の38度ぐらいの温かい環境から一気に25度ぐらいの室温にさらされ、しかも自力で体温を維持することを初めてしなければいけないので、この体温維持がうまくいかなければせっかく元気に産まれた新生児もどんどんと状態が悪くなることがあります。


へその緒で母体とつながった状況で新生児を温かく乾燥した状態に保つためには、産婦さんの足元にもう一枚防水マットを敷いて新生児を寝かせて上からウオーマーのような熱源ランプをあてるのでしょうか?


<新生児・母体とも救命救急が必要になる激変の時期>


新生児にとって産声とともに初めて肺呼吸を始めるということは、いつでも蘇生術が必要になる時期であることはこちらの記事でも書きました。
「家族にとっての出産」という文化的な雰囲気を大事にしながらも、呼吸が不十分であれば刺激して泣かせたりモニターを装着して私たちは粛々と新生児を観察し、対応しています。


それと同時に、産婦さんも胎盤が出て、子宮収縮や創などからの出血も大丈夫であることを確認できるまでは、いつでも救命救急が必要な事態へと激変していきます。
いまでも怖い産科出血による母体死亡へと急変しますから。


この時期に産婦さんと新生児の二人を十分に観察でき、かつ二人を引き離さず誕生の喜びを妨げないことは大事なことです。
ですから、最近ではインファントウオーマーを産婦さんのそばへおいて、産まれた赤ちゃんにもお母さんが手を伸ばせば触れるようにしながら、産婦さんの処置も同時に行うようになってきました。


分娩台の足元側というのはそれほどスペースがないのですが、ここに新生児を置きつつ、産婦さんの出血や異常事態にも対応するとなると、どんな設備にしたら母児双方に安全で「2分間臍帯切断を待つ」を達成できるのだろうと考えてみたのですが、私には思い浮かびません。


<「効果がある」としても、実行できない状況がある>


もし「臍帯結紮を2分間遅らせることで、○○に効果がある」と証明されたことがでてきたとしても、私たちにはどうすることもできない状況もあります。


だいたいは赤ちゃんが産まれて数分は胎盤がまだ子宮に付着しているので、臍帯の血流もある可能性があります。
ところが、それほど珍しくないことに、赤ちゃんが生まれるとほぼ同時に胎盤も剥離し始めて、すぐに娩出することがあります。


この場合、当然、2分間の臍帯結紮を遅らせる意味はありませんね。胎盤が剥がれてしまえば当然血流はないので。


それを知ったら、お母さんやお父さんはお子さんの成長に不安を感じたり、十分なことをしてあげられなかったとご自身を責めることになるのでしょうか。


<私の中では野心的研究課題>


さて、冒頭の記事ですが、まず記事だけでも羊頭狗肉かと思います。
「4歳のときの運動能力と社会性評価が高まる」というタイトルなのに、記事の中では「実際に影響が長く生後12ヶ月目以降にわたって続くかはよくわかっていない」と書かれています。


その研究を検索してまで読む気力はないのですが、こちらの記事に書いたように、「筆者らに欠けているのはデーターに対する批判的な視点」が感じられる研究という印象です。


こういう「話題性のある論文」はこうしてネットなどで紹介されても、案外、私たち医療現場では知らない人が多いですし、耳にしても「そんな単純な効果はないよね」と一蹴されるのではないかと思います。


でも社会で話題になり都市伝説のように残っていくとすれば、社会が求めているわかりやすい答えだからなのかもしれません。






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