稲の香り

花が少し少なくなってきた季節ですが、父の面会への道すがら、最近では夏の匂いを楽しんでいます。


なんといっても稲の香りです。
4月の終わりごろに田植えをしていたので、まだ十数センチぐらいなのですが、田んぼのそばを通るとなんともよい香りがします。


さまざまなことを思い起こさせる香りでもあります。


高校生まで住んでいた実家の前には田んぼがあって、いつもこの香りとともに生活をしていました。
関西の祖父の家も広い水田があって、稲穂が輝いている夏だけでなく、冬に遊びに行ってもどこかかしこからこの香りがして安心したものでした。


そして1980年代半ば、緊張して東南アジアの難民キャンプへ赴任したのですが、難民キャンプへ行くまでのハイウェイの両脇に水田が広がっている風景に、なんとかここでやっていけそうという不思議な安心感がありました。


その2年後、ソマリアへ向かう私を心細くさせたのは、森林や水が少ない風景とともに水田がないこともひとつだったのではないかと思います。
当たり前のようにあった水田の風景やその香りに、こんなにも意識の奥深くまで私の感情や行動が左右されていることに自分自身が驚いたのでした。


ところで、最近、1週間から10日ごとに面会に行くことで、風景の微妙な変化を感じる機会になっています。


この「稲の香り」も、田植えが済んだ直後ぐらいから感じ始めることに気づきました。
まだ数センチぐらいの稲なのに、あたりによい香りが漂い始めたように感じました。
本当に香りの成分がそんな時期からあるのだろうか、それとも私のイメージからくる嗅覚の錯覚なのだろうかと気になりました。


「稲、香り」で検索してみましたが、頼みの綱のWikipediaにも香りについては書かれていませんでした。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら是非教えてください。
あの香りはいつから、何によって始まっているのでしょうか。


もしあの小さな苗の時期からあの香りが出始めているとすれば、米というのは収穫までの何ヶ月もの間、私たちに収穫の楽しみとともに香りも楽しませてくれていることになるのかもしれませんね。


水田の風景を思い出しただけで、ふわーっとその香りまで思い出せるほど深く記憶に刻まれながら。