境界線のあれこれ 2  <卵膜の中と外、胎児から新生児へ>

胎児から新生児へ、その最も大きな変化というのは水(羊水)の中で生きているか水から出て生きているか、とも言えるのではないかと思います。


私が助産師になった二十数年前はまだ新生児医療のあけぼのの時代でしたから、妊娠30週ぐらいの早産児でも助かると「すごい!」と感じていました。


もちろん最先端のNICU(新生児集中治療室)のある病院では1000g未満の早産児を次々に救命できるようになりました。


早産、つまり母体外に出た胎児が新生児として生きられる限界の週数が、24週から22週へと変ったのは助産婦になってじきのことだったと記憶しています。


<破水、卵膜の破綻>


胎児から新生児への変化の中で、必ずどの赤ちゃんも経験することのひとつが「胎児を包んでいた卵膜が破れる」ことです。


通常は「破水、羊水が母体外へ出ること」として気づかれますし、私たちも「卵膜が破れた」とは表現することはほとんどなく、「破水」と表現します。


お産が終わると、「胎盤を見ますか?」と尋ねます。
99%ぐらい(この数字はいい加減)の方がご希望されますので、見せながら説明します。


この場合、胎盤だけでなく臍帯、そして胎盤に付着している卵膜も一緒になっています。


へその緒がどこから出ていて赤ちゃんについていたのか、赤ちゃんはどのような状態で卵膜と羊水に包まれながらいたのか、そして10ヶ月の間、赤ちゃんを育てていた胎盤のことなどをお話しています。


卵膜は、薄い半透明の膜です。
ゆで卵をむいたときに気づく、あの白い膜と同じような感じです。


破水する前の卵膜というのはとても強靭です。


時には胎児の頭が母体から見え出す頃になっても、水風船のようにふくらみ、子宮内の圧がかかっても破れることがないこともあります。


一旦、裂け目が入った卵膜は容易に手でさくことができるし、娩出された卵膜というのはボロボロで簡単にちぎることもできます。


子宮内の卵膜は、なぜ簡単には破綻することなく胎児を包みつづけてきたのでしょう。


この薄い膜一枚であちら側とこちら側が隔てられていたのだと思うと、説明しながらとても不思議な思いにかられるのです。


<胎児から新生児へ>


「母体外へ出る」「呼吸、消化吸収、排泄など自力で行う」などが、胎児と新生児を分ける定義のようなものです。
つまり「出生」という分岐点です。


たしかに出生時間をもって胎児から新生児になったととらえると明確ですが、あの卵膜の破綻という視点からみると胎児から新生児への変化は「点」ではあらわせないものがあるように思います。


たとえば、最近では1000g未満の超低出生体重児に対する帝王切開では、卵膜に包まれた状態で児の娩出を図る幸帽児(こうぼうじ)帝王切開という方法があるそうです。


幸帽児というのは、通常のお産ならば破水しないまま子宮内と同じような卵膜と羊水の中に赤ちゃんがいる状態で母体外に出てくることをいいます。
正期産の赤ちゃんたちにとっては第一呼吸が遅れる可能性があるので、「幸」と表現されてはいますが、むしろ幸帽児にさせないように児頭が出る頃までには破水させることが一般的ではないかと思います。


超低出生体重児の場合には、例外的に胎内と同じ環境のまま娩出させるほうが児のまだ未熟な体、内臓を守ることができるということのようです。


この幸帽児帝王切開の場合にも、もちろん児娩出時間をもって胎児から新生児になるわけですが、母体外から出てしばらく卵膜内にいる赤ちゃんは胎児なのか新生児なのか、なんとも中途半端な状態ですね。


また、通常は破水すると児への感染の危険性が高くなるので48時間以内に分娩になるようにしています。


ところが妊娠中期ぐらいで破水した場合、感染を予防しながらできるだけ母体内で成長するのを待つことがあります。


私の記憶でも、妊娠中期の破水で満期産まで持たせた産婦さんを3人経験しました。
毎日、羊水がけっこう漏れていたのでひやひやしていましたが、無事に出産されました。


卵膜のどこかが破綻して羊水漏出が続いていたあの赤ちゃんは、胎内にいるのでもちろん「胎児」なのですが、胎児と新生児という二つの分類には収まらない状況で生きていたのではないかと思えるのです。


胎児と新生児、境界線は何なのでしょうか。
胎児と新生児にとって、あの卵膜はどのような意味があるのでしょうか。




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