行間を読む 49 <「中国残留孤児の父の下、過酷な半生を乗り越えた」>

6月初めにNHK「心を込めて、当たり前の日常をビル清掃・新津春子」という番組を見ました。


番組の宣伝に書かれていた「中国残留孤児の父の下、過酷な半生を乗り越えたたくましい朗らかさ」という表現に、心が疼き戸惑いを感じたのでした。


1990年代初頭に勤務していた総合病院では、周辺にこうした中国残留邦人の帰国者が増えていました。
年に何人かは、帰国された中国残留邦人のご家族の出産があったと記憶しています。
出産費用が準備できない方々のための入院助産を受け入れていた病院でした。


産婦さんは中国で生まれ育った2世の方々ですから日本語はほとんどわかりません。そのご両親も日本人だったとはいえほとんど日本語も話せませんし、帰国されたばかりで日本の文化やシステムなど右も左もわからないようでした。


その病院は入院助産制度や生活保護の方々へも変わらない対応をするだけでなく、むしろ積極的にそういう社会の問題にコミットしていこうという方針がありましたし、出産は万国共通の部分もありますから、言葉が通じなくてもその病院の対応には安心をもってもらえたのではないかと思います。


あの頃に産まれた赤ちゃんたちももう20代半ばなので、今ごろどんな人生を送っているのだろうと気になっていました。


当時も日本に戻ってこられた中国残留邦人の方々が日本で生活することの大変さは時々ニュースになっていましたが、「身近」なほどはそういう方々はいませんでしたから、気になりながらもどこか自分の問題ではないと意識の片隅に追いやっていました。


この番組をみると新津春子さんが日本に戻られたのがちょうどあの頃だったようです。
高校生であった彼女は中国では「日本人帰れ」といわれ、日本に来たら「中国人帰れ」と言われたこと、言葉も壁になって清掃の掃除を始めたけれど、「清掃の仕事は下に見られていて、『どうぞ』と声をかけてもこっちを見ることもしない、目を向けない」という二重も三重もその存在を軽んじられる中で生きてこられたことが語られていました。



1990年代に、お産で入院して来た中国残留邦人のご家族の緊張とやや怯えたような表情が記憶にあります。
ただでさえ出産の緊張があるだけでなく、そこには私たちへの緊張があったのでしょう。


社会の中で見下されたり、侮蔑の言葉を投げかけられることはどんなに「過酷な」ものなのでしょうか。
本当は「乗り越えたたくましい朗らかさ」ではなく、それは私たち側の一方的な期待ではないかとタイトルに違和感が残ったのでした。






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