高齢者が「急性期病院」に入院するということ

しばらく看護教育の話が続いているので、医療関係者ではない方々にはあまりよくわからない話かもしれません。


かくいう私も、数年前に身内が急性期病院に入院しなければ、この10年で医療が・・・というより総合病院がどれだけ変化したのか考える機会はなかったと思います。


産科医療というのは、そういう意味でも医療の中では少し違いました。
もともと、ローリスクを扱う診療所から周産期センターまで重症度別に棲み分けられていたことがひとつ。
それと、たとえ途中で異常になって周産期センターのような高度医療機関に入院しても、「2週間で退院」というような入院日数の制限はありません。
必要があれば何ヶ月でも入院が許されます。
それは母児ともに分娩を終了し、健康を取り戻して育児に向うところまでが目標という暗黙の了解ともいえるところで支えられているからです。


ところが特に高齢者を対象にした疾患では、総合病院が様変わりしていました。
10年前まで総合病院で働いていたのに、なんだか浦島太郎の気分でした。



<高齢者が入院するということ>


数年前に母が、地域の循環器専門病院で心臓の手術を受けることになりました。


最近の心臓の手術は翌日には歩行開始し、早期リハビリが始ります。
クリニカルパスとともに、入院期間は2週間であることをわかりやすく医師や看護師さんから説明してもらいました。


このあたりまでは一応医療従事者ですから、急性期病院の方針を理解できました。


私と兄弟はそれぞれ仕事をして、実家とは離れたところで生活をしています。
退院直後の母を見守るだけの休暇はとれそうにないので、老健に一旦移ってそれから徐々にその後の生活を考えていこうと、ケアマネージャーさんとも相談していました。


実際にはその老健も満床で入所先を探すのも一苦労だったのですが、後で考えればまだそれくらいは序の口でした。


<「早期退院」のプレッシャー>


その急性期病院は、とてもシステマティックで医師や看護師、事務の方々の説明も対応も行き届いていましたし、入院に必要なものもほとんど準備しなくてよいくらいでした。
「洗練されたケア」というイメージで、私も学ぶところがたくさんありましたし、本当に感謝しています。


母の術中合併症が起きずに2週間で退院していたら、私も気づかずに「良い看護」をしてもらった満足感で済んだと思います。


ところが、術中の空気塞栓で母は半身麻痺になりました。


合併症に関しては術前に医師からとても丁寧に説明がありましたし、確率的にはとても低いことがロシアンルーレットのように身内に起こってしまったということで、そのことは仕方がないと納得できました。

起きてしまったことは仕方がないですし、今後のことを考え直せばよいと受け止めました。
また空気塞栓なので、状況によれば麻痺もいくらか回復する可能性があるとも考えていました。


<手術翌日から転移先を探す毎日>


ただ驚いたのは術後翌日、空気塞栓がわかった直後から「転院先を早く決めてください」といわれたことでした。


もちろん早く脳外科的なリハビリが可能な専門病院にいく必要があることもわかりますし、発症後3ヶ月までというリハビリ可能な期間が決められたことも理解できました。
それでも心臓の手術の効果がどれほどなのか何も先が見えない手術翌日に、「転院」を迫られたことには驚きました。


夜勤明けでも新幹線を使いながら、ほぼ毎日のように母の病院へ行きました。
家族中でリハビリ専門病院を探し、その病院のケースワーカーさんも近隣のリハビリ専門病院をあたって下さっていましたが、心臓の手術直後の患者を受け入れるところはありません。
何件も断られました。
そこは循環器専門病院ですから転院はしかたがないとしても、その病院から見えるすぐ近くの県立病院からも断られました。


面会に行くと、看護師さんから「転院先は決まりましたか?」とまず聞かれました。


次々と心臓手術の入院患者さんが入り、順調に手術が終わるとICU入院中から専門的なリハビリが始り、次々と2週間程度で退院されていく同室者を横目に、目の前で転院先を尋ねられる家族を見る母は居心地が悪いだろうと心が痛みました。


<早期退院、「地域で受け皿」なんてない現実>


ようやく、母が住みなれた土地とは離れた隣の県のリハビリ病院で受け入れてくださることが決まりました。


入院してからおよそ1ヶ月。
もう、日本のどこの県でもいいから受けれてくれればと祈るような毎日でした。
安堵感というのは本当に体から力が抜けていくようなものだと実感しながら、転院の日を迎えたのでした。


高齢者が急性期病院に入院するということは、回復の見通しがある若い世代とは違う不測の事態がいくらでも起こります。
また高齢者にとって環境が変わると言うことは、病院内の転棟でも大変であることは看護の常識でした。


それなのに急性期病院から退院後の受け皿がないまま、病院から早期退院(転院)を促がされる世の中に変わっていたことに、医療従事者でありながら驚きました。


もう少し正直な話を書くと、身内にもう一人医療従事者がいたのでそのつてでなんとか転院先を確保できたのでした。
そういう知識やつて(コネ)がない場合には、どうしているのだろうと思います。
当事者は大変すぎて、声をあげる余裕なんてないのは身にしみてわかりました。


通常の仕事と母の面会にくわえて転院先をさがしていたあの1ヶ月は、私も心身ともにボロボロでした。
思い出しても、二度としたくないと思うほど緊張が蘇ってきます。


まぁ、シッコのように警備員に病院からつまみ出されないだけ日本はまだましですけれど。


もう少しこの話が続きます。