記憶についてのあれこれ 82 <歌はどこに記憶されているのか>

先日、夜勤明けでテレビをつけたらミュージックステーションの10時間番組を放送していました。
最近は歌番組を観ることもないのですが、なんとなくつけっぱなしで聴いていました。


「最近は」と言っても、歌番組を観たのは高校生の頃が最後ぐらいではないかと思いますから、1970年代終わりの頃ですか。
それ以降は、ユーミンとかサイモン&ガーファンクルアイルランドの音楽などのごく限られたミュージシャンの曲を繰り返し聴いていましたが、こちらに書いたように感情を刺激されやすい音楽から私自身が離れるようにしていました。


ですから、ミュージックステーションを観ていても1980年代から90年代の音楽で知っている曲がほとんどなかったことに、あらためて愕然としました。ちょっとオーバーですけれど。
小さい頃からずっと聴いていた、坂本九さんの「上を向いてあるこう」が流れて来た時にはホッとしました。


その番組で記憶に残っているのは2000年に入ってからの曲です。
世界水泳を観るようになって、2005年のMCがSMAPだったので「BANG!BANG!バカンス!」あたりからぼちぼちSMAPの曲などを知りました。


その頃からテレビをまた観るようにはなったので、耳にした音楽はあるのですが誰が歌っているのかは知らず、この番組を観て初めて「ああこの人だったのか」という感じでした。


私の中の音楽の記憶は1980年代ぐらいで一旦途切れて、2000年代半ばからまた少しある、という感じです。


でも日本で生活していたのに1990年代ぐらいの音楽の記憶はどこにいっちゃったのだろうと、不思議です。



認知症になっても歌を忘れない>


父の面会に行くと、病棟の長い廊下をただただ往復している女性がいます。
端まで行ってドアを開けようとするのですが、閉鎖病棟ですから鍵がしっかりかかっています。
しばらくガチャガチャと開けようとして、あきらめてまた反対側へ歩き始める。
そんな行動を延々と続けています。


最初の頃は、私が挨拶をしてもほとんど目に入らない様子でした。


ある日、とてもきれいな声で歌を歌いながら歩いていました。
思わず「素敵な声ですね」と声をかけたら、それまで無表情だった顔がなんだか少女のような笑顔で、「(いやだあ!照れちゃう)」と私の腕を軽く叩いてまた歩き続けていました。
廊下の端から戻ってきた時にはまたいつもの表情だったので、1〜2分前に私が褒めたことももう記憶にないのだろうと思いました。


ところがその次の面会から、「こんにちは」というと恥ずかしそうに会釈を返すようになってくれましたし、「また素敵な歌声を聴かせてくださいね」というとあの時の照れた表情になるので、私の存在が記憶してもらえたと感じました。


そして先日、また素敵な歌声が聞こえました。
「本当に素敵な歌声ですね」と声をかけると、「今度一緒に歌いましょう」と返事をしてくれました。


この方はどんな人生を送っていらっしゃったのだろうと、相手をもっと知ってみたいと思ったのでした。


思い出させることがよいのだろうかに書いたように、無理に記憶を引き出すことはしなくてもよいのではないかと思いますが、歌を通じてまた新たな記憶がお互いにつくり出されることもあるのかもしれませんね。






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