記憶についてのあれこれ 121 <マスード>

少し前、Eテレで「アフガニスタン 山の学校の記録 マスードと写真家長倉洋海の夢」という特集番組がありました。
録画しておいたものを、先日ようやく観ました。


以前だったらすぐに観たと思うのですが、最近は少し時間を置いてから観ることが多くなりました。
理由はよくわからないのですが、感動とか興奮に対する警戒感あたりかもしれないと思っています。あるいは自分の中にある正義感への警戒心かもしれません。


マスード氏の名前を初めて知ったのは、80年代後半だったと思います。
1984年に医師の中村哲氏がアフガニスタンでの医療活動を始めた頃から、少しずつアフガニスタンという国の状況を知ることになりました。
長倉洋海氏のことは、90年代前後に知ったような記憶があるのですが、そのあたりの記憶はかなりあいまいです。


その後、私自身が内戦状態にある東南アジアのイスラム教徒の多い地域を行き来することになり、風土や文化は違うのですが長倉洋海氏の写真の中のアフガニスタンにその地域を重ねて見ているような気持ちがありました。


そして長倉洋海氏が写したマスード氏は、もの静かで冷静で思慮深さが現れていて、私が東南アジアで出会った何人ものNGOのリーダーと似ているのでした。
こちらの記事の「『外人が村にやってくる』ということ」に書いた、サルベージされたリーダーたちのような。


長倉洋海氏は、決定的な写真を撮りたいといった気持ちとは違って、マスード氏に本当に惚れ込んだ、いえ言葉では上手く表現できないけれど尊敬以上の何かに惹きつけられたのかもしれないと思っています。


そしてマスード氏1人をカリスマ化するのではなく、世界中の争いの場には必ず似たような人が現れるのかもしれません。
90年代から東南アジアで出会った人たちがマスード氏を重ね合って、私の記憶の中にあるのです。


冒頭の番組の中で、驚いた事実がありました。
マスード氏が、2011年9月9日、あの同時多発テロの3日前に暗殺されていたことです。


なぜか私の中にはその大事な事実が記憶されていなくて、暗殺されたことは記憶にあるのですが、それがいつだったのか、どのような局面だったのか失念していました。


そして、なんだか今も存在しているような不思議な気持ちになるのです。
それは、長倉洋海氏が写した写真があったからに他ならないと、この番組を見て気づいたのでした。




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