境界線のあれこれ 60 <日常と非日常>

前回の記事で、お姫様のようなドレスを着て赤面した話の続きですが、あれは決して被写体のせいではなく、ドレスを着たイメージに自分自身がなりきれなかったことが一因だと思っています。
なんだか変に照れちゃって、その表情とドレスがマッチしていなかったので「田舎役者」になったのだと。
って、ちょっとムキになっていますね。


世の中には難なく、違った自分(キャラクター)に成りきれる人がいることはいろいろな場面で感じます。



私たちの世代だと、あの竹の子族でしょうか。


ぱちゃぽとかふなっしーのような着ぐるみなら正体もわからないから抵抗は少ないけれど、独特の化粧や服装そしてその行動が周囲から距離を置いて観られる立場になることに、むしろ昂揚感を持つ人がいるのだなあと。


でも当時はまだ原宿とかのごく限られた場所でしたし、そこに行くまでは普通の格好をして、近くで着替えてから踊っていたようなので、電車などで竹の子族に出会うことはほとんどありませんでした。


終わったら、また普通の格好になって撤収。
そんな感じ。


その後だんだんとコスプレというのですか、いきなり電車や道で現実感のない格好をしている人に出会うようになりました。
しかも、竹の子族のように集団なら恥ずかしくないという感じではなくて、1人で堂々と歩いている人が増えました。


まあ、1980年代のデザイナーズブランドの服を来て歩いたり、大正時代のモボモガもコスプレのようなものかもしれませんが。
Wikipediaコスプレの説明では「日本では、江戸時代に流行した集団参詣や民衆踊りの際に、仮装を伴うものが多く見られた」とあるし、きっと日常の自分とは違う自分になりたいという仮装への願望のようなものは根強いのかもしれませんね。


そして、本当に成りきって堂々と歩ける人がこんなにも多いことに圧倒されています。


なんだか私には向いていなくて、気恥ずかしさが出てしまうので。
恥ずかしいと思ってそういう格好をすると田舎役者のように見えてしまうのでしょう。


先日のハロウィンでは帰宅途中の電車に仮装をした人がたくさんいましたが、私は日常と非日常が混乱した気分になったのと、堂々と非日常に成りきれる人との感覚の差にとまどって下を向いていたのでした。



「境界線のあれこれ」まとめはこちら