思い込みと妄想 37 <水族館にいる人の言動>

葛西臨海水族園では、あまり人だかりがなく、ひっそりと生きている魚類をじっと観るのが好きなのですが、ペンギンだけは水の中での抵抗のない泳ぎを観るために、人が多くても張りついています。


1年を通して観ることができるのが、フンボルトペンギンとフェアリーペンギンなのですが、何度もこのペンギンの前で時間を過ごしているうちに、人間の行動も観察していました。


けっこうな人がフェアリーペンギンを見て、「赤ちゃんペンギンだ!」と反応します。
鳩ぐらいの大きさなので、フンボルトペンギンの子どもだと思うようです。
たしかに、私も最初は葛西臨海水族園にいる4種類のペンギンの名前も違いもよくわからなかったので、初めての場合はそんな反応になるのだと思います。


そのために、展示のところにはそれぞれの種類の説明と、「赤ちゃんペンギンではありません」と書いてあるのですが、「赤ちゃんペンギンだ!」と声に出す人はそれが目に入らないようです。
たまに、「赤ちゃんペンギンじゃあないんだって」とその「事実」に気づく人がいるのですが、その声は、また次々とペンギンの前に来た人たちの「赤ちゃんペンギンだ!」「かわいい!」にかき消されていきます。


<「興奮」の正体>


ただ、水族館に来る人もいろいろな楽しみ方をしていることも見えてきました。
静かに、水槽の前でずーっと眺めている人もけっこういますし、説明を丁寧に読んで「そうだったのか」と学習している方もいます。
あるいは、「観察してみて。サメの背中に切れ込みがあるよ」とお母さんに話しかけている少年や、質問攻めの子どももいます。


大人も子どもも静かな興奮とでもいうのでしょうか、知らなかった世界が広がっていくことを楽しんでいる人がけっこういることも見えてきました。


それに対して、別の興奮で盛り上がっていくタイプの人たちも見えてきました。
展示されている魚類や動物の行動を、「擬人化」してとらえているとでもいうのでしょうか。


たとえば、夕方になって動きが少ないペンギンを見て、「今日は寒いから泳ぎたくないのかもしれないね」ととらえる人がいました。
ペンギンの生活を見ていると、午後3時に給餌が終わるとしだいに水から上がっていきますし、もっと寒い冬でも日中は活発に泳いでいます。
「どうして今泳いでいないのか」ひとつとっても、自分の感覚で思いついたことに当てはめて、ペンギンの「気持ちのストーリー」がつくり出されていくようです。


そういえば先日、久しぶりに「ナニコレ珍百景」の放送がありましたが、その中で「池の鯉に餌を分け合う思いやりぶかい鴨」が紹介されたのですが、実は「鴨は餌を水で湿らす必要があるので、餌をくわえくちばしを池に入れる習性があり、そこに鯉がやってくる」というオチがありました。


水族館や動物園あるいは植物園は「生殖」が中心的なテーマになるのだと思いますが、その「生殖」から「家族の愛情」「母親の愛」といったあたりへ擬人化しやすいのかもしれませんね。
そして「絆幻想」が、いつのまにか人間社会にヌルリと忍び寄ってくるような。


まあ、フェアリーペンギンを赤ちゃんペンギンと間違って認識したままでも、水族館で楽しかった時間をすごせたらそれで良いのですし、そこからもっと知ってみたいという人もでてくることでしょう。


ただ、水族館での感想についてはとやかくいうことでもないのですが、こうした目の前にきちんとした情報があるのに読まなかったり見えずに、自分の感情のままにその現象を解釈して、そして妄想が広がっていくことは、案外、日常生活の中にたくさん潜んでいるのではないかと思えたのでした。


鵺(ぬえ)のように社会に広がる雰囲気の正体は、こういう事実に基づかない興奮もあるのかなと、ふと思ったのでした。
まあ、これも私の思いこみと妄想かもしれませんが。





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