発達する 10 <何故だろうという疑問を持つことができる>

新学期も始まり、そろそろ人出も少なくなるかなと思い、また水族園へ行きました。
春の暖かな日差しのなかでぼーっと海を眺めてから、水族園へ。
平日でも人が多くて水槽をゆっくり見ることができないことが多いのですが、その日は正解でした。



まずは、カタクチイワシのストリームラインです。
あの流線型の体がすーっと水の中を進む姿は、ほんとうにきれいです。
魚というと、同じように尾びれや背びれなどがあるようにしか捉えていなかったのですが、種によってその動き方が全く違うことに、見入ってしまいます。


となりに少年がきました。
小学校低学年ぐらいに見えたけれど、今日は平日なのにどうしたのかなとちょっと気になりましたが、その少年の言葉にそんな些細な心配が吹き飛びました。


「ねえ、観察してみて。あのサメの背中に切れ込みがあるよ。他のサメにもあるよ」
「切れちゃったわけではなさそうだね」



ああ、すごい!
人生数年にして、観察するという言葉が理解できるようになるのだと。
毎日、新生児と接していると、子どもの発達の速度の速さに驚かされますね。


きっと、「観察する」と言う言葉が理解できる前は、「なんで?」「どうして?」「あれは何?」と親や周囲の大人を質問攻めにしていたことでしょう。
そこから今度は、お母さんに「観察してみて」っていっちゃうぐらい、成長していくのですね。


「私も、サメの背びれに切れ込みがあることに気づいたけれど、まだ答えがわからないの」と、思わず話しかけたくなるのをぐっとこらえたのでした。



「あれは何」「どうして」という疑問を持ち続けられれば、一生、退屈することがないほど、世の中はたくさんのわからないことや知らないことがいっぱいの宝箱ですからね。
あの少年に幸あれ。





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