赤ちゃんに優しいとは 6 <普遍的なものと助産師の思い込みのはざまで>

前回に続き、 「新生児ベーシックケア」(横尾京子氏、医学書院、2011年)の「自宅出産で生まれた新生児:Mさんの体験から」について考えてみようと思います。


今回は出生後から1ヶ月までの部分です。

 計測後、産着が着せられた。その産着は夫がかつて着た産着(和式で白いネル)。そして、それは上の子2人の産着でもあった。おむつは、紙おむつと布おむつを使った。胎便は洗ってもなかなかとれないという助産師の助言で、胎便から移行便の間は紙おむつ、それ以降は布おむつにした。
 頭髪は濃くて長く、血液が付着していたため、翌日は、助産師が血液を取り除いてくれた。産湯は臍帯脱落を促す事を考え日齢6日に実施、同僚の教員(助産師)がお祝いに来てくれたので、石けんを少し使ってきれいにしてもらった。ゆったりと湯に浮いていた。それまでは、柔らかく温かい小タオルでおしりや皮膚が重なる部分を清拭するだけに留めていた。
 点眼は使わなかった。新生児は鼻涙管がつまりやすいこともあってか、日齢1で右目に眼脂を見たときは、助産師の助言で、母乳を数滴垂らして洗い流すようにした(なかなか難しい方法だった)。日齢5には出なくなった。臍帯の感染予防のために母乳を用いる方法があることを考えると頷ける。しかし現在(2011年)ではそのような方法は行わず、目尻から目頭に向けて(涙の出る方向)清潔な綿花で清拭しているそうである。
 臍帯の処置は、清潔保持と乾燥のみで、それ以外は何も行わなかった。日齢7の7時42分に脱落した。助産師の助言で、紫雲膏(漢方系の軟膏)を1回塗布した。この赤紫色は紫根(シコン)という植物の根の色で、炎症を和らげ、皮膚の再生を助ける作用がある華岡青洲が開発したのだそうである。塗布後は、衣類が汚れないようにおむつ(布)で覆った。


この部分を読んだだけでも、なんだか助産師の自然療法への傾倒助産師の勧める助言に根強い「自然と不自然」の混乱が見えるようです。


 母乳は3人目なのでよく出た。出生直後から吸啜力は強く、日齢2で授乳回数は12回と2倍に増えた。ウンチもよく出た。体重は日齢1が減少(減少率6.3%)で、日齢6には出生体重を越えた。「ふにゃ」というような声を出すのが空腹のサイン。いつも添い寝で授乳した。
 黄疸は、日齢1で生理的黄疸の上限値(経皮ビリルビン濃度測定期)だった。それ以上の上昇を防ぐために、助産師から日光浴が提案された。太陽光線に照射された新生児は血清ビリルビン濃度が早く低下するということを考えると、これも頷ける。室温を上げ、窓際で日光浴をさせ、日齢3でピーク、日齢6では10mg/dl程度になった。

たしかに初産と経産の違いは経験的にあります。
ただここの箇所を読むと、「生理的黄疸」についての解釈や対応として、少なくとも周産期看護に携わるスタッフがテキストとして読むのにふさわしい内容だろうかと疑問です。


3人目で母乳の分泌も問題ないのに、生理的黄疸が微妙に続いて体重も10%近く落ち続ける赤ちゃんもいます。
特に日齢1で「上限値」であれば、経皮ビリルビン測定だけではなく医師と相談して採血でのビリルビン値を確認するほうがよいと思われるような、正常と異常の境界線上ではないかと思います。
ところが「日光浴」で対応し、上記の箇所ではその根拠として1988年の海外文献をあげています。



結果として、この赤ちゃんに問題が起きなくてよかったと読んでいてほっと胸をなでおろしました。


 ビタミンK2シロップ(1ml)は、日齢1と日齢3にMさんがスプーンで飲ませた。希釈しなかったが上手に飲んだ。育児日記には「おちょぼ口がかわいかった」と。3回目は1ヶ月訪問時に助産師がスプーンで飲ませた。
 日齢6にガスリー検査のための採血。横臥させ、Mさんは両手を身体を押さえ、助産師が足底に針を刺し、濾紙に直接血液を採った。あやしても、あやしても、ずっと泣き続けた。人生最初の痛み体験だった
 その年も終わろうとする時に新しい家族の一員を出産。出産後の7日間、Mさんは、ひたすら添い寝で授乳し、おむつを換え、新生児のペースで過ごした。寝室を出るのはトイレとシャワー、食事のときくらい。年の瀬の世間の慌ただしさとは無縁、ゆったりとした温和な日々が流れた。上の子2人は、いつも寝ている部屋に1人増えたというような感じで、新生児を撫でたり、触ったり、やさしかった。新生児が泣いたのは、出生後の計測のために母親から離された時とガスリー検査で痛い体験をした時のみ。泣かない子だった。母親と家族の眼差しに包まれ、平安だったに違いない。子宮外環境に適応するという新生児にとっての大きな課題は、家族に囲まれ、無事クリア。1ヶ月健診のために助産師が訪問。太鼓判が押された


赤で強調したのは、「思い込み」ではないかと感じた部分です。
新生児の気持ちは誰にもわからないし、何かの方法が効果があったと断定する根拠も、あるいは正常と異常の境界線を正確に判断できるほどの知識も、助産師の私にはとてもないからです。


助産師でない人なら、このように我が子の反応を思い込むのはかまわないことでしょう。そのあたりは、正解も間違いもない「気持ちの問題」なので。


もし筆者がこのエピソードを「家族中心の新生児のケア」を体現したものとして紹介したのであれば、周産期看護の方向性を見誤らせることになると危惧します。
「感情移入という自分中心主義の手法」では、新生児ケアの本質を歪ませることになるかもしれません。


30年以上前に科学的看護論を学んで、目の前が開けるような看護の楽しさを見つけたのに、思えば遠くに来てしまったという落胆です。


これ以上助産師の立場で不合理な俗説を作らないで欲しいものですし、そのための専門書の発展を切に望んでいます。


助産師の出版物や方向性についてはこんな記事を書きました。

「これはないと思う『助産雑誌9月号』」
「これはないと思う『助産雑誌9月号』その2」
「これはないと思う『助産雑誌9月号』その3」
「これはないと思う『助産雑誌9月号』その4」
「『冷え』を科学する?助産雑誌11月号」
「オカルトな世界が広がる助産雑誌」
「『ペリネイタルケア1月号』、おまえもか・・・」
「こんな専門雑誌が欲しいな」
「『医療を使わない助産』のようなものの幻想と幻滅」


<2015年12月7日追記>
コメントでりすさんが上の子からの感染に関しての不安を書いてくださったので思い出しました。
「新生児のあれこれ 24 <兄・姉からの感染>」で自宅分娩のリスクのひとつを書きました。





「赤ちゃんに優しいとは」まとめはこちら