小金がまわる 7 <人の足になる>

1980年代、マイカーは当たり前で、さらに日本国内での交通網が発達して新幹線や航空機の移動も日常的になりました。


あるいは都内でも、地下鉄の延長工事や相互乗り入れが広がり、車を持っていなくても移動がしやすくなりました。


それでもバスといえば大型のバスだけでしたから、小型のコミュニティバスというのは思いつくこともありませんでした。
そういえば、1960年代前半の都内で、まだボンネットバスを見た記憶がありますが、80年代になると大型バスでも車体が洗練されていて、低床のワンステップバスも一般的になってきたような記憶があります。



高度経済成長で経済的な不安が少ない時代でしたから、それまで贅沢という感覚だったタクシーの利用や旅行にもお金をポンと使えるようになった反面、日々の交通費というのは反対にやや割高感がありました。
現在のようなICカードはないので、地下鉄や私鉄は回数券を購入すると、1回分お得なので利用していました。


それでも今考えると、都内のバスや鉄道の運賃は安かったと思います。
検索したらこんな表がありました。ネットって本当にすごい!
当時、バスは130〜160円ぐらいだったのですね。


当時、実家に帰ると、都内のバス運賃の安さを痛感しました。
都内のバスは均一運賃の区間が多かったので、久しぶりに実家の地域のバスに乗ると、どんどんと料金があがっていくことにドキドキさせられました。



そして、高校時代は通学定期を使っていましたが、割り引かれているといっても親の給与から考えればけっこうな負担だったのだろうなと、自分が働き始めてから交通費の負担感が理解できるようになりました。


<こんな交通網もあるのか!>


1980年代の日本国内での日常の交通機関といえば、そうしたバスや鉄道、そして個人の自転車ぐらいしか考えたこともありませんでした。
東南アジアで暮らすようになってこんな「足」があるのかと、本当に世界はいろいろな社会があるものだと驚いたのでした。


最近ではアジアやアフリカ、あるいは中南米などの旅を映像や写真にしたものをよく目にするようになったので、今ならもし初めてそういうものを見ても珍しくは感じないかもしれません。
でも、当時はそういう地域を紹介している本さえ少なかったので、その地に降り立って初めて見たのでした。


その国に初めて到着した日のことは、こちらの記事に書きました。


ドアが壊れかかっているタクシーが国際線の空港で客引きをしていることだけでも、覚悟してきたはずの私を驚かせるには十分でした。
でも1〜2ヶ月もすると、私もこういうタクシーにも平気で乗るようになりました。
運賃をぼったくられない手段もわかるようになりました。
そして、そうして暮らしている人たちの生活も、少し見えるようになったのでした。


その国ではまだ鉄道はごく一部の区間しかなく、長距離や市内では大型バスが主な交通手段でした。


その間を埋め、人と人の生活をつないでいる交通機関がありました。
それがコミュニティバスに似たような乗り合いバス的なものや、三輪タクシー自転車タクシーでした。


国によっていろいろと名前がありますが、たとえばフィリピンの乗り合いバスならジープニーがあります。


大型の路線バス以外の道もくまなくつないでいて、走行区間は決まっているのですが、途中での乗降りはどこでも可能という便利なものです。
降りたい場所が近づくと車の天井などをトントンと叩くと停まってくれますから便利ですし、運賃もバスの半額ぐらいでした。



乗り合いバスの路線以外をつなぐのがオートバイに客席がついた三輪タクシーで、たとえば市場で買い物をしてそのまま市場から自宅まで、ドアツードアで人も荷物も運んでくれました。
料金も乗り合いバス程度です。


一番の驚きが、人力の自転車タクシーでした。
今でこそ、日本の観光地などで人力車が復活していますが、まさにその日本の人力車から発展して自転車で人を運ぶようになった乗り物であることを、現地で知りました。


暑い国ですから、日中、外を歩く人はまずいません。
徒歩わずか数分ぐらいのところでも、皆、この人力タクシーに乗ります。
乗り合いバスの半分ぐらいの運賃ですから、距離にすると割高感はあるのですが、暑い中歩かなくても近い所でも運んでくれることを考えると、こんなものかもしれません。
暑い中、自転車をこいでくれる人も大変ですしね。



なんと小回りのきく交通手段で社会が網羅されているのだろうと、うらやましく思いました。
日本にもこんな交通手段があったら便利そう、と。


でも当時、どんどんと専門化・高度化する日本社会と対極の「何か」を東南アジアに求めていた私でも、さすがにこのシステムは日本では無理だろうと思いました。


たしかに地域社会の中で小金がまわり、それで生活をしている多くの人がいるのですが、教育を受けたいとか別の仕事をしてみたいという夢を持つことはできない収入のようでしたから。


なかなか社会はうまくいかないものですね。






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