気持ちの問題 49 <会話を聞かされるのが苦手>

「気持ちの問題」は私の心の中にあるぐちぐちとした愚痴を整理するための記事です。


電車などの交通機関でのマナーやルールには、時々、何のためなのかを見失ってしまったものもあるのではないかと感じることがあります。
「優先席付近の電源off」もその一つ。


もう一つ、「携帯電話での会話はご遠慮ください」というものも、「そうだよね」と「そうなのかな」というあたりで、私の心の中では結論が見えないものです。


「なぜ携帯電話の会話」なのかという点について、携帯電話が普及し始めた90年代終わり頃から時々見かけました。
たとえば、「ロケットニュース24」というサイトの「なぜ電車内でケータイで会話されると不快に感じるのか?理由が判明」(2010年9月20日)には、こう書かれています。

日本では、電車やバスなど公共交通機関でのケータイの通話を禁止にしている。しかし、ときどき緊急の用事で通話している人を見かける事がある。手短にすむのならよいが、長々と話をしている人を見るとついイライラしてしまう。これと似たような経験をお持ちの方も多いだろう

電車やバスで聞こえてくる会話はまったく気にならないのに、ケータイは不快に感じてしまう。なぜかケータイは気になって仕方がない。この疑問をアメリカの心理学者が解明し、このほど科学誌に発表した。それによると、どうやら通話中の声が問題ではないようだ。
(中略)
それによると、周りの人は聞こえてくる会話の内容が把握できないと、ストレスを感じているという。対面会話であれは、話の流れがなんとなくでも理解でき、不必要な情報であれば虫することができる。
(強調は引用者による)


こういうとらえ方は、時々目にしました。


でも私はむしろ携帯電話に限らず、「電車やバスで聞こえてくる会話」「会話の内容が把握できる」ことにストレスを感じます。


電車やバスの中というのは、混雑していなくても音が響きやすい環境なのかもしれません。
少し離れたところで会話していても、声の大きさによっては内容がすべて聞き取れてしまいます。
まして、混雑して密着しそうな状況なのに近くで通常の会話をされれば、聞きたくなくても聞こえてしまいます。
また、こちらが座っている時に、前に立っている人たちが話すと、会話が頭の上からのしかかってくるような距離感があります。


特に、プライベートな内容だと、聞くに堪えられない苦痛があります。
若い世代だと恋愛の話とか、あるいはどの世代でも会社や家族の不満や批判、ある年代以上になると病気や不調の話が増えるようです。
全然理解できない外国語の会話であれば、声さえ大きくなければ内容がわからないので、あまり気になりません。


プールの井戸端化もそうですが、他人のプライベートな話から逃れられないことが、私にとっては「電車やバス内での会話」への苦痛になります。
他の人の話に聞き耳を立ててしまう状況が、とても苦痛なのですね。


「そういう話は他の人が聞こえない場所、あるいは他の人に聞こえない音量でお願いします」あたりが、私のイライラの理由です。


不快かどうかも、あるいはどの程度を「騒々しい」と感じるのかも個人差があるのでなかなか難しいところですが、プライベートな話を人に聞かれていることを気にしないのは「他の人の存在を意識しない傍若無人な様子」に見えるので、私には苦手なのかもしれないと書きながら少し整理がついてきました。




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